2013年6月22日土曜日

メディアマシーン

柴崎正道プロジェクト公演。岸田理生作。
柴崎さんは10年前に死んだ岸田理生の仲間だったらしい。
クナウカのメデイアで使われていた、「これはメデイアではない」はこの作品からの引用だったのか。ハイナー・ミュラーだとばかり思っていた。
演劇学会を途中抜け出して中野まで行って鑑賞。身体の動きは完成に近いと言って良さそうな人たちだ。ダンスにそれほど詳しくないものの目には、姿勢のアンバランスと痙攣的な動きのリアリティ、指への関心、左右の非対称性など、十分に九十年代以降のものに見える。とくにリアントさんのエキゾチック(ポストモダン的引用)と坂本さんの滑らかさに感銘を受けた。二人の旅人はオレステスとエレクトラに見える。
ただ、グランドピアノ一個で即興的に演奏されるクールなフリージャズ風の音楽(どう考えてもせいぜい60年代の音だ)との落差が激しい。せめてピアノの音をもう少しノイジーな感じで、たとえばプリペアド・ピアノにするとずいぶん変わると思う。また、動きと音楽をあわせすぎに見えた。もう少し無関係にする、あるいはせめてずらさないと、動きが予定調和的に見える。
台詞を喋り出すと途端に退屈になるのは、演技の調子の幅がとても狭いからと、台詞自体が陳腐なのが大きい。説教くさい。
最後の台詞が、「Quo vadis domine? 我らどこからきてどこへ行くのか?」の二度の反復なんだけど、ひょっとしてクォヴァディスってその意味だと思ってないか?少なくともラテン語知らないお客はそう思うぞ。演者(作者?)もそうだとしたらずいぶん恥ずかしい勘違いだし、そうでないとしたら、訳が分からない。もちろん、「主よ、あなたはどこへいらっしゃるのですか?」の意味で、この言葉の文脈はググればすぐ分かる。シェンケヴィッチの小説は子供の頃の愛読書だった。(一方で中野重治やぬやまひろしの詩を、他方でシェンケヴィッチを、さらにもう一方でアリステア・マクリーンを子供に与える親はずいぶん変わった人たちだったとは思う。一番影響を与えたのは「女王陛下のユリシーズ号」だったが…)。


1 件のコメント:

北野研究室 さんのコメント...

USTREAMにある別の人の上演を見たら、Quo vadis domine? 我ら云々はオリジナルの台詞だったけれど、締めではなかった。締めの一歩前。