2013年3月28日木曜日

オイディプス第二エペイソディオン574-581行


574-575

クレオン「あの人がもしそう言ったのなら、それはあなた自身がご存知のことです。あなたは今私に尋ねたのだから、私もあなたに尋ねるのが正しいと思う。」

オイディプスの尋問をクレオンは簡単に受け流す。テイレシアスの予言内容をクレオンが知っていたと考えないほうが良いだろう。彼はその件に触れないことを望む。「あなた自身がご存じのこと」は「私の知ったことではない」を含意する(Kamerbeek)。そのニュアンスを強調するなら「あの人がそう言ったとしても、それは私のあずかり知らぬことです。」と訳すことも出来よう。しかし「あなたが知っていることだ」は「私の知ったことではない」と同義ではないので、そこまでやると訳としては解釈過剰にも思える。
575行「あなたが今私に聞いた同じこと(ταὔθ' ἅπερ)を、私もあなたに聞くのが正しいと思う。」但し写本では指示代名詞のταῦθ’。既述のことではないので、刊本はほぼこの形に変更している。「同じこと」とは問いの内容が同じ、というのではなく、問いの仕方が同じ、ということで、オイディプスが一行対話でクレオンに尋ねたように、クレオンも581行まで一行対話でオイディプスに尋ねる。「あなたが今私に尋ねたのと同じやりかたであなたに尋ねるのが正しいと思う」の方が直訳としては良かったかも知れないが、クレオンがオイディプスに問いかけを行う正当性の「理由」が関係節で示されていると考えた。岡訳「わたしにおたずねがあったからには、同様にわたしもおたずねしたい」はこの二つの点では優れているが、δικαιῶのニュアンスを伝えるには弱い気がする。

579581

オイディプスの予測に反して、クレオンはライオス殺しのことなど尋ねはしない。オイディプスが姉と結婚しており、姉のイオカステはオイディプスと同等の権力を持っており、「三番目に私も等しい権力を持っている」ことを確認する。「あなたは姉と、この地を等しく統治しておられるな?579Ἄρχεις δ' ἐκείνῃ ταὐτὰ γῆς ἴσον νέμων;」は問題を孕んでいる。
νέμωという動詞の両義性のゆえに、(1)「あなたは彼女と同等にこの土地を支配し、等しい権力を持っているな?」、(2)「あなたは彼女と同等にこの土地を支配し、等しい権力を彼女に分け与えているな?」という二つの解釈の可能性があるからだ。(2)なら、オイディプスが一番、イオカステが二番、という順位だが、(1)はそこが曖昧になる。オイディプスの「あれの望むことはすべて私から与えられている(580)」という答え、またその後のやりとりは、クレオンが(2)を含意していたように進む。しかしもし(2)を言うのであれば、王弟の王への問いかけとしては、二人称を用いて「あなたが」姉と同じかどうかを等のではなく、三人称を用いて「姉が」あなたと同じ権力を持っているかどうかを問うのが適切だろうからだ。しかし、「あなたは姉と結婚しているな?」に続く上記の問いは、(1)の含意を響かせている。オイディプスが結婚によって王位を与えられたことが背景にあるからである。また、「あなたたちふたりに加えて三番目に私も等しい権力を持っているのではないですか?ἰσοῦμαι σφῷν ἐγὼ δυοῖν τρίτος; 581)」もイオカステが権力の中心にあることを暗示する。オイディプスはイオカステと結婚したことによって彼女とἴσον(同等)な権力を持ち、クレオンはイオカステの弟であることによって彼ら二人とἰσοῦμαι(対等)であると。「三番目として対等」という矛盾を内包した言い方は面白い。


2013年3月26日火曜日

オイディプス 第二エペイソディオン561-569行


561行

クレオン「数えればずいぶん昔のこと。かなりになります。」

すでにプロロゴスで、ライオス殺害犯の捜査は、それに続いて起きたスフィンクスの厄災への対処のために満足に行えなかったとクレオンは語っている。だから、ここで、オイディプスが「どれ位になるのか」を聞くことに意味があるとすれば、オイディプスはスフィンクスがどの程度の期間テバイに厄災をもたらしていたのかを知らないのだろう。その終点の時期はオイディプスは知っているのだから。クレオンの答えはプロロゴスよりも明確さを欠いている。
以下の応答は基本的にはプロロゴスで得られた情報の確認のための反復だが、オイディプスは、それに、テイレシアスが当時予言者であるなら何もしなかったのはなぜなのか?を付け加えている。次の推論プロセスがここでは前提とされている。(1)テイレシアスの予言の術はいかさまである、あるいは少なくとも、テイレシアスにはライオス殺害犯を知る「知恵」はない。(2)テイレシアスが当時役立たずだったことをクレオンは知っているのだから、(1)をクレオンは知っている。(3)もし、(2)が正しいなら、オイディプスにテイレシアスの言葉を得るようにとのアドヴァイスを行ったのには別の意図がある。(4)実際のテイレシアスの言葉からして、その意図は王位簒奪でしかありえない。
568のオイディプスの「ではどうしてその時、あの「賢者」は何も言わなかったのだ?」は(1)の確認である。それに対するクレオンの返答は上手い肩すかしになっている。
「分かりません。知らないことについては黙っていたいです。」569
「黙っていたいですσιγᾶν φιλῶφιλέωは「愛する、好む」から、「〜するのが好みだ、〜するのが流儀だ」の含意が生まれる。「黙っていたいです」はそのニュアンスを外していないだろう。この言葉はクレオンという人の性格を暗示するものになっているが、ここではまだ曖昧だ。しっぽを掴ませないための狡猾さとみることも出来るし、無責任なことを言わない高潔さとみることも出来る。

57073行

オイディプス「だが次の点だけは分かっているはずだし、まともならば喋ることになるだろう。」
クレオン「それは何です? 知っていればお答えします。」
オイディプス「こうだ。お前とぐるでなければ、ライオス殿を殺したのが私だとあいつが言う筈がないということだ。」

オイディプスは、問い詰める形でクレオンから自白を引き出すことが出来なかったので、自ら主要論点を持ち出さざるを得ない。文法的には571570572に割り込む形になる。572は名詞節で、ややもったいぶった接続詞がついている(ὅτιのかわりにὁθούνεκ’)。しかし、行頭を「次のことだけは(τοσόνδε γ' )」で始め、とあらかじめ名詞節の内容を指示代名詞でうけている570はクレオンが「どんなことを」と問いかけるのをあらかじめ予測している。ここで間を置き、クレオンから問いを引き出そうとしているのである。だから、ὁθούνεκ’(こうだ、と訳した)は意味の上では570の「次のこと」と571の「それは何です」の両方を受けている。

2013年3月25日月曜日

オイディプス第二エペイソディオン547-560行


547-552行

クレオン「そう、まずはその話から聞いて下さい。」
オイディプス「まずはその話だが、自分が悪人ではないなどという話をするには及ばない。」
クレオン「理屈に合わない強情が美徳だと思っておられるのなら、あなたの考えは正しくはない。」
オイディプス「身内に酷い行いをして罰を受けずに済むと思っているのなら、おまえの考えは正気ではない。」

オイディプスとクレオンの短いやりとりが続く。547-8は一行ずつ。549-556は二行ずつが二回、557-571まではまた一行対話だ。オイディプスとクレオンが「同じだけ」語っている。訳ではなかなか同じだけの長さに出来ないのだけれど。最初の一行対話は両者ともτοῦτ' αὐτὸ で始め、次の二行対話はクレオンがοὐκ ὀρθῶς φρονεῖς.で文を終えるとオイディプスはοὐκ εὖ φρονεῖςで終えるというように、厳密ではない対応がある。548行のオイディプスの応答には「まずは」はないが、この文体をいかすために加えた。「まさにその話からまずはお聞き下さい」「まさにその話だが」にした方が良かった。「その話」とは、直前にオイディプスが言う「おまえは敵だ、それもやっかいな敵だ」という話であり、クレオンは自分がオイディプスに害意を持つことが不合理だという、予習してきただろう話を語ろうとする(クレオンが実際にそれを語るのは583行から)が、オイディプスに遮られる。オイディプスはライオス事件のことを直ちに持ち出す。ライオス事件はここでは、テイレシアスが真の予言者ではなく、陰謀の加担者であることの証拠として持ち出される。

558−560

オイディプス「いったいどのくらいになるのだ、ライオス殿が……
クレオン「彼がどうしたと? おっしゃることが分からない。」
オイディプス「人殺しの手にかかって亡くなられたのは一体いつのことなのだ。」

オイディプスの質問の途中でライオスが割って入っている。割り込みを省くと、オイディプスの言葉は、「いったいどのくらいになるのか、ライオス殿が人殺しの手にかかってなくなられてから」。クレオンは、ライオスのことをここで問われるとは思っていなかった。テイレシアスとオイディプスのやりとりについて詳細を知っていたわけではないことが分かる。オイディプスの言葉はクレオンにとって予想外であり、彼は慌てて言葉の途中で割り込む。日本語では項やって割り込まれると疑問を繰り返さないと分からない。大体、「ライオス殿が人殺しの手にかかってなくなられてからいったいどのくらいになるのだ」が通常の語順なので、拙訳のように倒置にすると、それだけで変に強調がかかってしまい、まるで割り込みを予感しているかのように感じられる。難しい。「そもそもライオス殿が…」「彼がどうしたと?おっしゃることが分からない。」「人殺しの(以下略)」だと語順としては自然だけれど、クレオンが割り込んだのには、問いに「ライオスが…してからどれ位たつのだ」という疑問詞(πόσον…χρόνον)が含まれていたからなので、「そもそもライオス殿が…」とオイディプスが言ったとたんに割って入るのも不自然だ。クレオンの割り込みは570-72行にも見られるが、こちらの場合文体上は559行ほど明白ではない。
岡訳が注で「このあとテキストに若干の脱落が推定される」と書いてあるのは、おそらく、古注に「オイディプスが省略法で語るので、クレオンは「何を聞いているのですか。分かりません」と言う」とあるのを誤解したのだろう。ギリシア悲劇で他人の台詞への割り込みがどのようになされていたのかは推測を出ない。現代のギリシア人を見ると、「同時に喋る」というのが一つの解の可能性に見えるけれど、今のギリシア人のしゃべり方から2500年前を想像するのは無理がありすぎる。

2013年3月23日土曜日

オイディプス 第二エペイソディオン531-544行


536542行

クレオンが来ているのを知ったオイディプスは館から飛び出してくる。クレオンへの罵倒。「この謀略を企んだのは、私が臆病だと思ってか? 馬鹿だと思ってか? お前の企みがこっそり忍び寄るのに気づかないと思ったのか? それとも気がついても自分を守れないとでも? 馬鹿なのはお前の計画の方だ。民衆の支持も友人もなしに王位を狩ろうとするとは。王位をつかむには民と金とが必要だというのに。」好きな台詞の一つだ。でも解釈は悩んだ。
「臆病だと思ってか? 馬鹿だと思ってか?」の馬鹿に「気づかない」が、「臆病」に「気がついても自分を守れない」が対応する。勿論、オイディプスはクレオンに「民と金なしに」王位を狩ろうとする「愚かさ」は帰すものの、「臆病」は帰さない。
「民衆の支持も友人もなしに」ἄνευ τε πλήθους καὶ φίλων すっきりと、「民も友もなしに」としたかったのだけれど、口頭で唐突に「民も友も」と言われてもこの漢字に変換して貰えないと思ってくどくした。
でもこの箇所は様々に解釈され、別の読みが提案されてきた。「民と友」が直後の「民と金πλήθει χρήμασίν」と対応しないと考えられてきたからだ。
三つの提案が考慮に値するだろう。
(1)  DaweManuwaldに従って、最初のπλήθουςπλούτουに変更し、「富も友もなしに」読む。対比はその場合はっきりする。
(2)  Bollackなど多くの注釈者はむしろ「友」を「金」と結びつける。クーデターに必要な金を提供してくれるのが上流階級であるクレオンの「友人たち」だということになるだろう。民衆の支持と、クーデターのための費用を助けてくれる友人たちが念頭に置かれていると。ただ、Kamerbeekのように「民衆」に、「金で買われる多数」とか「傭兵」の意味まで組み入れる必要はないだろう。
(3)  まあ、対応させる必要は無いのかもしれない。最初に「大勢の人の支持と友人」を挙げて、二度目の「大勢」は当然「友人」も含むだろうし、「金」は新しい要素として出てきたのかも知れない。『オイディプス』は別に論理思考トレーニングではないのだから。
私自身は(2)を採った。岡訳「おまえは民衆も仲間も当てにせず、王位を射とめようとしているが、それは財と衆をたのんで手に入れるものなのだ。」もそうなのだと思うが、「財と衆」と順序が変わっている理由は分からなかった。

543-44行

クレオンのオイディプスへの返答。「何をすべきか、あなたにはお分かりか? あなたのお言葉に私は同じだけのお返事をしましょう、それを聞いてからのご判断をお願いします。」
くどくなった。最初の「何をすべきか、あなたにはお分かりか?」は直訳だが、原文のニュアンスは相手に何かさせるためのもうちょっと口語的で決まり切った言い方のようだ。岡訳の「よろしいか」は大胆だ。その次の部分、クレオンは、オイディプスの非難に対して、「同じだけお返しに聞いてくれ」と命令法で求めている。それでそれから自分で理解した上で判断するようにと。」「理解した上で(訳では「聞いてから」)」にあたるμαθῶνは、539行でオイディプスが述べた「気づいても」と同じ言葉である。どちらにとっても真相に「気づく」ことが重要である。「気づく」べき真相の内容は異なるのだけれど。
「同じだけ(の反論を)聞いて下さい」という内容はテイレシアスの「あなたが王であっても、同じだけの返事をする(ἴσʼ ἀντιλέξαι)対等の権利は誰にでもある」という言葉に呼応している。これは観客にとっても誰もが持つ権利として捉えられていたのだろう。「お言葉に対する返答を公平に聞いて欲しい(岡訳)」は「公平に」という言葉でやや曖昧になった。「偏見無く」聞くのではなく「同じだけ十分な」量を聞いて欲しいという希望なのだと思う。