2013年3月23日土曜日

オイディプス 第二エペイソディオン531-544行


536542行

クレオンが来ているのを知ったオイディプスは館から飛び出してくる。クレオンへの罵倒。「この謀略を企んだのは、私が臆病だと思ってか? 馬鹿だと思ってか? お前の企みがこっそり忍び寄るのに気づかないと思ったのか? それとも気がついても自分を守れないとでも? 馬鹿なのはお前の計画の方だ。民衆の支持も友人もなしに王位を狩ろうとするとは。王位をつかむには民と金とが必要だというのに。」好きな台詞の一つだ。でも解釈は悩んだ。
「臆病だと思ってか? 馬鹿だと思ってか?」の馬鹿に「気づかない」が、「臆病」に「気がついても自分を守れない」が対応する。勿論、オイディプスはクレオンに「民と金なしに」王位を狩ろうとする「愚かさ」は帰すものの、「臆病」は帰さない。
「民衆の支持も友人もなしに」ἄνευ τε πλήθους καὶ φίλων すっきりと、「民も友もなしに」としたかったのだけれど、口頭で唐突に「民も友も」と言われてもこの漢字に変換して貰えないと思ってくどくした。
でもこの箇所は様々に解釈され、別の読みが提案されてきた。「民と友」が直後の「民と金πλήθει χρήμασίν」と対応しないと考えられてきたからだ。
三つの提案が考慮に値するだろう。
(1)  DaweManuwaldに従って、最初のπλήθουςπλούτουに変更し、「富も友もなしに」読む。対比はその場合はっきりする。
(2)  Bollackなど多くの注釈者はむしろ「友」を「金」と結びつける。クーデターに必要な金を提供してくれるのが上流階級であるクレオンの「友人たち」だということになるだろう。民衆の支持と、クーデターのための費用を助けてくれる友人たちが念頭に置かれていると。ただ、Kamerbeekのように「民衆」に、「金で買われる多数」とか「傭兵」の意味まで組み入れる必要はないだろう。
(3)  まあ、対応させる必要は無いのかもしれない。最初に「大勢の人の支持と友人」を挙げて、二度目の「大勢」は当然「友人」も含むだろうし、「金」は新しい要素として出てきたのかも知れない。『オイディプス』は別に論理思考トレーニングではないのだから。
私自身は(2)を採った。岡訳「おまえは民衆も仲間も当てにせず、王位を射とめようとしているが、それは財と衆をたのんで手に入れるものなのだ。」もそうなのだと思うが、「財と衆」と順序が変わっている理由は分からなかった。

543-44行

クレオンのオイディプスへの返答。「何をすべきか、あなたにはお分かりか? あなたのお言葉に私は同じだけのお返事をしましょう、それを聞いてからのご判断をお願いします。」
くどくなった。最初の「何をすべきか、あなたにはお分かりか?」は直訳だが、原文のニュアンスは相手に何かさせるためのもうちょっと口語的で決まり切った言い方のようだ。岡訳の「よろしいか」は大胆だ。その次の部分、クレオンは、オイディプスの非難に対して、「同じだけお返しに聞いてくれ」と命令法で求めている。それでそれから自分で理解した上で判断するようにと。」「理解した上で(訳では「聞いてから」)」にあたるμαθῶνは、539行でオイディプスが述べた「気づいても」と同じ言葉である。どちらにとっても真相に「気づく」ことが重要である。「気づく」べき真相の内容は異なるのだけれど。
「同じだけ(の反論を)聞いて下さい」という内容はテイレシアスの「あなたが王であっても、同じだけの返事をする(ἴσʼ ἀντιλέξαι)対等の権利は誰にでもある」という言葉に呼応している。これは観客にとっても誰もが持つ権利として捉えられていたのだろう。「お言葉に対する返答を公平に聞いて欲しい(岡訳)」は「公平に」という言葉でやや曖昧になった。「偏見無く」聞くのではなく「同じだけ十分な」量を聞いて欲しいという希望なのだと思う。

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