2013年6月10日月曜日

ベルリン・フォルクスビューネ 「脱線!スパニッシュ・フライ」

夏にヴェネチアへ行く前に、出来るだけ11年と09年のヴェネチア・ビエンナーレの作品の感想をあげたいのだけれど、なかなか時間が取れない。それと、記憶が新しい12年のドクメンタの方が先になってしまう。今日のアップも別の話題で、静岡のふじのくにせかい演劇祭で土曜に見た「スパニッシュ・フライ」について。SPACの「黄金の馬車」も同じ日に見たのだけれど、これは『赤旗』に書いたので、それが出てから。
「スパニッシュ・フライ」はもともと100年程前の喜劇で、「スパニッシュ・フライ」は催淫剤の原料になった昆虫の名前で、催淫剤の名前にも転用された。今回、演出のフリッチェはsを括弧に入れて「パニックの」という意味のpanischeを浮かび上がらせる。「脱線!スパニッシュ・フライ」はそっちの方には良い訳だ。「スパニッシュ・フライ=催淫剤」の意味が日本では一般的でないので、なぜ主人公(の一人)が昔の女のことをスパニッシュ・フライと呼んでいたのかが見ている間は分からなかった。
昔の愛人との隠し子がやって来たと勘違いした男がそのことを誤魔化そうとじたばたあがく、というどーでもいー内容の喜劇なのだけれど、それを演技と演出の仕掛けで笑わせ、見せようとするお話。トランポリンを利用した各演技者の動きが半端ではなく強いので、パニック的でヒステリックな笑いは存分に楽しめる。言語的なギャグも満載されているような気がするのだけれど、そちらの方は分からない。奥さんがルートヴィヒという名の夫のことを「ルードヴィシュ」と発音していたのがどんなニュアンスを持つのか、方言ネタも分からない。一番近い舞台経験は新喜劇だと思うけれど、動きははるかに激しくアクロバティックだ。そこはとても面白かった。絨毯の下に押し込むとか、言語的なギャグに由来する動きもまあ面白かった。新喜劇なら個人の持ちギャグとして保存されるネタが、この芝居のためだけにつくられ消費されているのも贅沢な感じで面白い。
でも、面白さの多くの部分は、普段こんな芝居をしない人たちが超スピーディに新喜劇ギャグをやっている、という点にあるのだとも思うのだけれど、その辺は日本では分からないのが残念。隠し子と間違われる青年が時々差し挟む「えー?」って言う言語ギャグはとても効果的だった。東野幸治の感じかなぁ。こわい奥さんはある時期の中山美保だ。コメディア・デラルテ以来の伝統ギャグもいくつも使われているのだろうけれど、私に分かったのは飛んでいるハエを食べるやつだけ。
舞台は大きな絨毯が一枚、少し高くなった台から舞台全面に拡がっているだけ、絨毯の一部はトランポリンになっていて動きにアクセントをつけている。ギャグ以外での登場人物の動きは構成主義的(どう見てもブレヒト的じゃない←ポストパフォーマンストークで、「ブレヒトの影響は?」って聞いてた人がいた。リアリズムじゃなきゃ何でもブレヒトって思わないで)。ライトの使い方もそうだ。ほぼ二時間の芝居。「どんな内容でもやり方で芸術作品になる」ってのはロシアフォルマリズムの基本原理なので(「手法としての芸術」)、その伝統に則った舞台。

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