ローラント・シンメルプフェニヒの『金色の龍』(I.N.S.N企画)を観た。渋谷新南口の近くにある貸しギャラリービルの四階での上演。当日券はキャンセル待ちで何とか端っこに座れた。
新国立劇場でシンメルプフェニヒの『昔の女』を観たのはもう四年くらい前だったっけ。分かりやすいのにずいぶんと実験的な作品だったが、『金色の龍』もそうだ。
ベルリンのあるビルの一階にある中華・ベトナム・タイレストランのキッチンが中心となる舞台。そこに働いている五人のアジア人のうち、「坊や」と呼ばれている一番若く、就業許可証も健康保険も持っていないため、歯医者にも行けない青年の虫歯が痛み出し、他の従業員たちはペンチでその虫歯を引っこ抜くが…って話と、その隣(だったか向かいだったか)の、雑貨屋が一階にあるビルの住人たちの日常の話が交互に描き出される。
途中に「ありとキリギリス」の寓話が混じり、それが徐々に移民への売春強要の話に移って行き、最後に雑貨屋と中華料理店の話と交わる。物語自体はわりと単純。
で、この物語を面白くしているのはむしろお手本のような異化効果の手法で、それは、(1) 五人ですべての役を演じる、(2) 役柄、性別をなるべく入れ替える(女性は男優が、老人は若めの俳優が演じるなど)、(3)ト書きを俳優自身が語る、というものだ。で、その手法は、超絶に忙しいレストランのキッチンの様子のリアルな描写と並べることで、独特の効果をあげるだろう。次から次に、いつ果てることもなく続く注文を必死でこなしている姿は搾取そのものだし、ちょっとしたトラブルがとんでもない結末にいたってしまうのはドイツ(旧西側)社会のありかたの縮図だ。異化効果の手法のせいで私たちはただ情緒的に反応するのではなく、私たち自身が(この問題については)ひょっとしたら加害者の側にいるかも知れないシステムのあり方について演劇的に考えることが出来る。
ただ、そのためには、「超絶に忙しいキッチン」の過酷労働について、もうすこしきちんと描く必要があるように思う。そこがあまり出来ていないと、レストランの労働者の態度が冷酷に過ぎるように見えてしまう、あるいはコミカルに見えてしまう。コミカルな舞台の向こうにある酷い社会的不公正を浮かび上がらせるまでにはいたらなかったのが残念。ドイツのあちこちで上演され、国外でも、たとえばギリシアの国立劇場なども上演していることからもうかがえるように、やりようによってはとても面白い舞台になる作品だと思うのだけれど。
0 件のコメント:
コメントを投稿