2014年10月29日水曜日

iOSでATOKを使う(絵文字登録)

iOS 8.1にしたら、今まで登録していた単語が抹消され、新しい単語登録も出来なくなったので、この際と思ってATOKの導入を行った。1500円。
で、ついでなのでATOK SyncにでもしてMacのATOKと同期させようとしたら、ATOK Syncには対応していないらしい。ともあれ、今のATOKから、ユーザ単語をエクスポートしてiPhoneのATOKに取り入れることは出来るみたい。
http://support.justsystems.com/faq/1032/app/servlet/qadoc?QID=054762
それでまあ、なんとか支障ないレベルで変換しているのでよしなんだけれど、ATOKの初期モードでは、iPhoneの絵文字を読みで変換することは出来ない。「あせ」ってタイプしてUnicode絵文字の😓が出てこない。
こんなもん単語辞書ファイルなんだからどこかにないかと思って探したら今日になってようやく誰かが作ってくれたみたいで、
http://wiki.aokix.com/Mac/ATOK/iOS絵文字辞書を登録する
にアップロードされていた。
ファイル名をuser_word.txtに変更してiTunesのATOKに取り込むのだけれど、前に取り込んだファイルと置き換えられてしまう。でも、前の登録単語が消えるなんてことはなく、新たに絵文字も(いくつかエラーは出たけれど)無事、取り込まれていた。
このファイル、MacのATOKにもインポートできるのが有り難い。

ATOK自体はときどき挙動不審になるけど、まあ育って行くでしょう。

2014年9月21日日曜日

デーア・ローアー 『無実』東京演劇アンサンブル

デーア・ローアーは、岡田利規演出の「タトゥー」、東京演劇アンサンブルでの「忘却のキス」を見た記憶がある。「忘却のキス」がストーリーレベルで分からなかったのに対し、「無実」は分かりやすい。

なんか最近観劇を「外す」ことが多くて、今回はかなり外している可能性が高いと自分でも予想していた。

舞台は、ドイツの港町、ということは北海に面した町で、ケルンかハンブルク位しか行ったことないけれど、そんな感じのところ。不法滞在の移民が多く、港にはストリップバーもある。「元コミュニスト」を自称する女性が出てくるので、旧東ドイツの地域なのかもしれない。(西にはほとんどいなかったもの)。
(1)冒頭、不法滞在移民の二人の黒人が、海で溺れかけている女性を見つける。その一人エリージオは助けようとするが、不法滞在がばれると強制送還になるかもという相手ファドゥールと言い合いをしている間に、女性を見失ってしまう。エリージオは死んだその女性のことが頭から離れない。
ファドゥールは海辺で日傘と本を探す盲目の少女アプゾルートに出会う。彼女はストリッパーで、ファドゥールは彼女に恋をし、たまたま拾った大金でその目を手術しようとする。
(2)医学部を辞めたフランツと妻ローザの暮らす家にローザの母ツッカーが転がり込んでくる。ツッカーは糖尿病が悪化して足を切除しなければならなくなって一人暮らしが続けられない。フランツは遺体処理の仕事を見いだす。
(3)老女性哲学者(設定では)は、自分の書いた「世界の不確実性」の内容に絶望している。因果関係は後付けにすぎない。世界のすべては不確実だと。彼女は夫に八つ当たりして憂さを晴らしている。
(4)身寄りのない老女ハーバーザットは犯罪被害者の家を訪ねては、自分が犯人の母親だといつわってかえって同情されることを生きがいにしている。彼女の正体はばれ、その行為は禁止される。
物語はこれら最初は無関係な四組のグループに分かれ、その間に、飛び降り自殺する男たちのスキット、それをいらいらしながら見ている見物人のスキットが(かなり時間をおいて)挟まれる。無関係な人物群は、徐々に緩やかに結びついて行くが、そのキーになる言葉は「世界の不確実性」だ。

作品は、多分、ブラックユーモア、グロテスク・コミックでいっぱいだと思う。冒頭の、溺れる女性を助けようとしたエリージオが言い合いになっている間に肝心の女性を見失うところからして、笑いの種は溢れている。ファドゥールとアプゾルートの出会いもそうだ。「見える」「光」「金色」「ライト」などの言葉はかなり危ないのだけれど大丈夫かなとおもわせるところも含めてギャグ満載なんだと思う。「世界の不確実性(多分不確定性)」の話が出てきた後で、目の前にいるローザが実は水死した女性だったとか、それを知ったときに彼女の水死が確定するとかも、まあ、笑えるかどうかは別としてシュレジンガーの猫のギャグだろうしサプライズなエンディングの筈だ。ハーバーザットの詐欺(お金を要求するわけではないけれど)もいらいらする不条理な場面だけれど、こんなに不快なだけの場面ではないと思う。

冒頭の場面はエリージオとファドゥールも同じ方向を向いているために、エリージオが女性を見失う効果が出ない。おまけに(特にファドゥールが)台詞でアップアップしている。その台詞の翻訳もとても不自然で、話し言葉になっていないし、日本語としてどうかしらと思うところもある。演じていて、さいの目を振るなよサイコロを振れよとか思わなかった?。音楽がずっとケルティックハープ一本なので、ドタバタ演技の入り込む余地がないし演技もずっと同じテンポ。何でドイツでアフリカからの移住者の話で都会なのにケルティックハープなの?エンヤのテープじゃなかっただけラッキーだと思えば良いの?みんながずっと前を向いて感情を外して台詞を言うのが異化演技だっての止めようよ。そんな演技見ていて何か面白かったり有意義だったりするの?老哲学者がなんで若いの? バリバリの頃のクリステヴァみたいなことをその頃のクリステヴァみたいな年齢の女性が言って人生の失敗感がでるの? 盲目の少女が全然盲目に見えないのと服がお嬢さん方向なのはわざとだと思うのだけれど、どういう効果をねらったの?ファドゥールとエリージオが世紀末伝説の雑魚みたいなプロテクター付きシャツを着ているのは何なの?セットが「除染された土」を入れた袋なのは分かったけどそれ何か効いてるの? 飛び降り自殺する二人は、唯一演出上笑いを意図した場面ではあったのだけれど、この雰囲気の中であの衣装と演技で客が笑うと思っていたの?だいたいあそこだけコミックなのおかしいとか思わなかった?全体にわたる視覚的なだささはドイツ演劇だからわざとそうしたの?



2014年9月17日水曜日

新国立劇場『三文オペラ』(赤旗劇評)

赤旗に新国立劇場の「三文オペラ」の劇評を書きました。
ソニン最高!最後の面会の場面での退場にダンディ坂野の持ちネタを持ってくる所なども素晴らしい。「示す」演技に徹している。
メッキーが「起伏が少ない」のは演出の意向か?って書いたのは、たとえば嫉妬の二重唱の場面でのメッキーの必死のごまかしがカットされていたり、いくつか、メッキーが面白くなるところをあえて抑えているように見えたから。ピーチャムに関しては、私が観たのが二日目というのもあり、第一幕冒頭の最初の見せ場がちょっと淡々としすぎているようにも見えた。笑いをとれていなかった。
字数の関係で書けなかったけれど、ピーチャム夫人のあめくみちこもとても良い。
台本は、ドスのメッキー、メッキース、匕首マックと主人公の名前が場面によって変わるのが気になった。総じて上品。でも、元になった(と書かれていた)光文社文庫(谷川道子)訳よりはずっと生きた日本語になっている(多分訳者本人の監修)。
翻訳戯曲のテキストと上演台本の関係としてはこれで良いと思う。戯曲テキストは語学的な正確さを崩せないけれど、上演台本はそうでもないのだから。


劇評はこちら

2014年9月12日金曜日

MacでEPWING for Classics(ギリシア語辞書データ)を使う

EPWing用のギリシア語辞典データEPWING for Classicsの使い方は自分のサイトで前に書いたことがある。まずWindowsでの使い方、およびiOSでの使い方だ。
ただ、そこではMac OSでの使い方については触れていなかった。辞書として使うには何の苦労も要らず適当なフォルダにコピーしてEBMacから認識させてやれば良いだけなんだけれど、それだけだと、検索文字がローマアルファベットになってしまい、また、ギリシア文字が汚い(ユニコード・フォントにならない)。
で、それを回避するために、EPWING for Classicsの「ダウンロード」ページから、EBシリーズ専用ファイルをダウンロードする。ここで必要な書類は、alternate-v3.iniとCLSEPW.plistの二つ。作業手順は以下の通り。
(1) alternate-v3.iniをalternate.iniに名称変更。
(2)「アプリケーション」フォルダからEBMacを右クリック(二本指タップ)、「パッケージの内容を表示」を選択。
(3)パッケージの中の Contentsフォルダ→Resourcesフォルダを開いて、そこにCLSEPW.plistをコピー
(4) 次にFinderで、オプションキーを押しながらメニューの「移動」をプレスして「ライブラリ」フォルダを表示。ライブラリ→Application Support→EBMacを開いて、そこにalternate.iniをコピー。この「ライブラリ」はユーザフォルダの直下にあるものの方。「システム」の直下にある「ライブラリ」にはApplication Supportフォルダがないはず。

これまでCLSEPW.plistをどこにコピーすれば良いのかが分からず、ギリシア文字が汚いまま放置していたのだけれど、上手くいったので報告。

CLSEPW.plistコピー前
CLSEPW.plistコピー後

2014年5月31日土曜日

福中冬子編訳『ニュー・ミュージコロジー』所収、キヴィ「オーセンティシティー」について

福中冬子編訳『ニュー・ミュージコロジー』、ゲーアの論文は、日本語一ページ読むだけで、訳がでたらめだと分かったのだけれど、ゲーアが紹介しているグッドマンの議論自体難解なのかもしれず、ある程度仕方がない。それでも全体の三分の一くらい誤訳、っていうのには驚いたけれど。
学生の卒論のテーマに重なるのでこの章は注意深く読み、大きな誤訳はほぼ指摘した。そのとき、同じ分析美学仲間のピーター・キヴィの「オーセンティシティ」はどうなのかしらと気にはなったんだけれど、何となく読めば分かる感じの文章に見えたので検討しなかった。
で、その学生さんと「オーセンティシティー」の箇所を読み出して仰天する箇所に出会うことになる。それは、看護婦になりたいと言っている貧しい少女ワンダについての文だ。
もちろん、<ワンダ>は一度も医者になりたいなどと口にしたことはない。彼女は常に看護婦になりたいと公言していたが、まともな思考が出来る人間ならば誰しも、彼女の能力や人格、行動に鑑み、医療現場で働くならば−彼女の言葉とは裏腹に−看護婦よりも医者の方がやりがいがあること、そして状況が許すならば彼女自身医者になりたいと思っていることを認識できるだろう。(148)
「まともな思考が出来る人間ならば誰しも…医療現場で働くならば…看護婦よりも医者の方がやりがいがあること…を認識できるだろう」はおそらく翻訳者の思い込みが誤訳に反映した例である。そしてその思い込みはずいぶんと看護婦を馬鹿にしている。誤訳であることに気づくまで、キヴィってこんなあほなことを書く人なのかと唖然とした。
もちろん、ワンダは自分が医者になりたいと言ったことはない。そのポイントはどこにあるのだろう?彼女が医者になることが不可能だったという点だ。だから彼女はいつも看護婦になりたいと言っていたのだ。しかしながら、彼女の能力と個性を知っており、その振る舞いを何年にもわたって観察しており、医療の領域で看護婦よりも医者になるほうが彼女の人生がどれほど満足できるものになるのかを知っている知性ある人ならだれでも、これらすべてのことがらから、それまでの何年間もの間ずっとワンダが語ってきた言葉に反して、 ワンダが、現在の状況では、看護婦よりも医者になることを望んでいると推論できるのである。Of course, Wanda never said she wanted to be a doctor. What would have been the point? She couldn't be one. So she always said she wanted to be a nurse. However, any reasonably intelligent person who knows Wanda's capabilities and personality,has observed her behavior over the years, and knows how much more gratifying her life would be, in the healing arts, as a doctor rather than a nurse can infer from all this, pace what Wanda has been saying all these years, that Wanda, under present circumstances, wants to be a doctorrather than a nurse (.Peter Kivy: Authenticities (Cornell University, 1995) 24)
キヴィは翻訳者とは違って、「医療現場で働くなら看護婦より医者がやりがいがある」なんてことは書いていない。ワンダを知っていて、何年も観察していて、彼女にとっては医者になる方がどれほど望ましいことなのかを知っている人が、「彼女は医者になりたい」と推論できると主張しているだけである。knowとinferの違いとか、主語を修飾する関係節と主文の違いとか、指摘するのも徒労になってしまいそうだ。
もう一つ、この訳の大きな問題は、これが(間違った)要約であって翻訳ではないということだ。彼女は、自分が理解出来る形に原文を縮め、まとめている。ところがキヴィは彼女が理解できるほど単純なことを言ってくれていないので、何となく分かったような読後感はするけれど実は出鱈目な翻訳ができあがった。
その前のページでも「身体を持たない思考プロセス」(147)とか笑わせる訳文が出てくるし、このあたり、文単位でみると正しい訳ひょっとしたら一つもないのではないだろうか。「身体を持たない思考プロセス」の直後もこんな感じ。
ここでツッコミが入るとすればそれは、人は実際、あらゆるものを「望む」ことは出来るが、あらゆるものを「意図」することはできない、ということだ。もしその「なりたい[望む]」が不可能であったとしてもである。「Xになること意図する」と私が言ったところで、そのXが不可能であるならそれは意味を成さないが、「Xになりたい」と発言すること自体を阻止するものではない。(同147)
この訳に実際に「ツッコミを入れ」、出来るならばその流通を「阻止したい」のだけれど、出来るのは試訳を置いておくこと位かしら。
結局のところ、人は何でも「意図する」ことは出来ないけれど、 何でも本当に「望む」ことは出来ると言われるかもしれない。Xが私にとって完全に不可能であるとき、「私はXになることを意図している」と私が言うのは明らかに意味がない。他方、「私はXになりたい」と言うのは、それでも意味があるようにみえるかもしれない。It might be interjected here that, after all, one can really "want" anything, even though one cannot "intend" anything. It makes no sense, clearly, for me to say "I intend to be X," where X is flat-out impossible for me, whereas it may seem, anyway, to make sense for me to say "I want to be X."(同23)
 卒論の学生さんのためには、ゲーアの場合同様、論文全体にわたって見直してあげるべきなのだろうけれど、今回は全訳になりそうで、時間や著作権の関係もありそれは控える。

2014年5月22日木曜日

iPad mini用キーボード

iPad Mini用キーボードを買った。Logicoolの薄いもの
小さすぎないかと思ったけれど、アルファベット部分のキーが充分に大きいので大丈夫。驚いたのは、日本語変換の性能がとても良いことだ。マックと同じ「ことえり」なんだけれど、MacではATOKだし、iPadでは普段ローマ字変換をしていないので意外だった。フリップのときには変換精度はあまり意識しなかった。予測変換で確定することの方が多かったからだ。キーボードでローマ字かな変換で、会議や学会でメモを取るのにはほとんど苦労しない。みんなtsudaれる筈だと思った。ATOK要らない感じ。コマンド+スペースで言語が変わるのもマックと同じで良い。マック風のキーの組み合わせはほかにもあるみたい。
ただ、日本語⇔アルファベットのキーボード変換をcapslockで可能、みたいな使い方が出来るとさらによかった(日本語・ギリシア語・英語のキーボードをオンにしているので)。
重くなるのが心配だったけれど、それほどでもない。ガラスの保護カバー(シール)とは両立できないけれど、保護カバーは不要になる。また、ソフトケースもキーボードで保護しているので不要になる。扱いはむしろ簡単になった。
読むときのために相変わらずキーボードは外してe-handleつけてるので、キーボードのふたをしたときの不格好さはさらに増した。便利で軽ければ幸せなので良いのです。あまりマックを持ち歩く必要がなくなってきたなぁ。

地人会新社「休暇」Holidays

久しぶりの赤旗劇評。思い起こせば半年ぶりだ。
タイトルがようわからんものになってしまった。ともかく保坂さんあまり心理主義的ではないけれど熱演。作品は問題多い。医学的ガン治療への偏見が強すぎて気持ち悪いレベルだ。
ハーブだのにんじんジュースだのなんだのっていう代替治療のことを緩和ケアって呼んでいるのは原作がそうなのかもしれないけれど、主人公のガンの進行がいまいち不明なのは翻訳の問題なのか作品の問題なのか。素直に観ていると、乳がん発見通常医療三ヶ月で再発代替治療で根治、七年経過後肺に転移(?)代替治療で一旦消えたけれどまた七年たってあちこちに転移っていう物語に聞こえる。全14年。それはあまりになさそうなのだけれど、どうなのだろう。