2022年3月5日土曜日

コースマイヤー『美学:ジェンダーの視点から』の翻訳について

このページは、多分2009年にコースマイヤーの『美学』が出てそれほどしないうちに自分のウェブサイトに掲載したもので、その後そのサイトがプロヴァイダーの消滅により消えてしまったのでそのままにしていたのですが、コースマイヤーを読みたい学生に私のページを紹介しているという先生がいらしたのでこちらに復活しました。もともと二ページなのを一つにまとめました。今では、ディッキーの芸術定義もダントーのアートワールド論も邦訳があり、彼らの議論についての誤解は減っていると思うのですが、コースマイヤーの邦訳で理解する人もいるでしょうから再掲しておいていいかと思いました。説明の中には私の誤解もあるでしょうが、ディッキーとダントーの議論をなるべく噛み砕いたものになっているとは思います。

(1) ディッキーの芸術制度論

 コースマイヤーの『美学:ジェンダーの視点から』の翻訳が出版された。最近はフェミニズムの視点からの芸術論も日米共に議論が盛んで、特に美術史の家父長主義的な記述の書き換えや、芸術実践でのジェンダーの前景化は欧米諸国ではかなり進展している。コースマイヤーは、美学という女性を対象化する傾向の強い学問領域にも、この新しい傾向を意識させようと努力している研究者の一人だ。その時に彼女の理論的根拠の一つとなる芸術哲学が、ジョージ・ディッキーの芸術制度論と、アーサー・ダントーのアートワールド論であり、彼女は一定のページを費やしてこれら二人の哲学者を論じている。このページと次のページでは彼女が紹介しているこれら二人の哲学者の議論が、この翻訳では誤って伝えられていることを示す。

ディッキーはアメリカの芸術哲学者で、ほぼ同世代のアーサー・ダントーの論文「アートワールド」に影響を受け、独特の芸術の定義を作り出した人だ。それは、「芸術と芸術でないものを区別するのはアートワールドだ」という見解である。「アートワールド」は耳慣れない言葉かも知れないけれど、ディッキーの場合、元々は、芸術を提示するための制度的枠組みを示していた。芸術家とか、批評家とか、そういった人々で構成される制度である。ディッキーはこれがダントーの「アートワールド」論文の見解だと当初は信じていたのだが、ダントーにおいては、「アートワールド」とは第一には芸術作品の世界であって、芸術作品そのものの相互連関を意味していた。ディッキーではまずそれは「芸術作品を取り巻く制度」であり「枠組み」だ。

で、ディッキーの芸術定義は、その初期の段階では次のように変遷する。(以下引用はGeorge Dickie:Art and Value(2001)より)

(1)「A work of art in the descriptive sense is (1) an artifact (2) upon which society or some sub-group of a society has conferred the status of candidate for appreciation.(記述的な意味での芸術作品とは、(1)人工物で、(2)社会や社会の下位集団が鑑賞候補の地位を授与するものである。)」

ディッキーはすぐにこの定義の欠点に気づく。これじゃまるで社会や社会の下位集団が一丸となって芸術作品を作るみたいだと。

で、彼はその定義を変更する。

(2) 「A work of art in the classifactory sense is (1) an artifact (2) upon which some person or persons acting on behalf of a certain social institution (the artworld) has conferred the status of candidate for appreciation.(分類的な意味での芸術作品とは(1)人工物で、(2)ある社会的制度(アートワールド)を代表して行動する何らかの一人ないし複数の人物が、鑑賞候補の地位をそれに授与したものだ。)」(1971)

あるいは

(3)「 A work of art in the classificatory sense is (1) an artifact (2) a set of the aspects of which has had conferrred upon it the status of candidate for appreciation by some person or persons acting on behalf of a certain social institution (the artworld).(分類的な意味での芸術作品とは、(1)人工物で、(2)その諸側面のある集合が、一定の社会的制度(アートワールド)を代表して行動する何らかの一人ないし複数の人物に、その人工物への鑑賞候補地位を授与させたものである。」(1974)
https://twitter.com/zmzizm/status/530413426615410688 によって訂正(2014/11/30)。以下の文章にはそんなに影響ないか)

(2)と(3)には違いは殆どない。鑑賞候補地位の授与は、いずれの場合も、アートワールドを代表して行動する一人ないし複数の人物によってなされる。(3)は(2)と、その人物による地位授与が作品の何らかの側面と全く無関係であるという可能性を明示的に排除しているという点でのみ異なる。

とりあえず(3)までをディッキーの芸術定義の初期ヴァージョンとして、その特徴は

  1. 「分類的な意味」での芸術作品の定義を行おうとしていること。つまり、ここで言われているのは、「芸術の域に達している」とか言うときに使われる価値評価のニュアンスを全く含まない限りでの芸術概念の定義だということ。
  2. アートワールドを代表して行動する人間が人工物を芸術にすると考えていること。
  3. 鑑賞候補の地位の「授与」行為の存在が人工物を芸術にすると考えていること。

の三点だろう。そのどれにも突っ込みが入ることになる。(1) 芸術って本当に価値自由に定義できるの? (2)アートワールドを代表して行動する人間って誰よ?誰がそいつにそんな権威を与えたんだよ。(3)「授与」行為って何よ。「汝芸術なり」と言って何かを芸術にすることなど出来るの?

最大の問題が(2)だった。ウォルハイムは次のように言う(大意)。「アートワールドってどうやって代議員選ぶん?選挙でもやんの?選ばれたとしてさ、すべての候補検証すんのん?地位の見直しはするの?そもそもそんな権威を持つアートワールドなんてあるの?」「そもそも誰かが地位を授与したとしてもさ、そのためには「理由」が要るやろ。そんなら、その「理由」がものを芸術作品にしていると考えた方がええんちゃう?」

さて、これは誤解だとディッキーは訴える。大体、鑑賞候補をいっこいっこ検証して芸術地位を授与するなんて言っていないし、鑑賞候補地位を「授与」する「アートワールドを代表して行動する一人ないし複数の人物」って元々は作者のことだと。アートワールドに属する他の人間が地位授与をやってはならないわけじゃないけれど、本来は芸術家である作者が「見てね」って差し出したものが芸術作品なんだ。集団制作の場合作者は複数ね(コンサートとか)。で、作者(であれ他の地位授与を行う人間であれ)、「見てね」って差し出す、つまり鑑賞候補の地位を授与するのには、何らかの権威を必要としていない。アートワールドに属していることで十分なんだと。

それで「代表して行動する」ことになるのか?なると思う。だって作者が純粋に何ものをも代表せずに「見てね」って誰かに何かを差し出すなら、それはラブレターだったり呪いだったり以下略する筈で、作者が芸術家として不特定の公衆に「見てね」って差し出している以上、彼女はアートワールドを代表して地位授与(鑑賞候補としての)を行っていることになる。勝手に代表するわけだ。日本人が海外でいろんな意味で「日本を代表する」のと同じ。

「代表して行動する一人ないし複数の人物」「地位授与」「分類的な意味」の三つはこの時期のディッキーの理論にとって決定的に重要な概念だ。「代表して行動する一人ないし複数の人物」は「代理人」ではないし、「鑑賞候補」「地位授与」の概念は省略できない。だから、74年ヴァージョンを次のように訳してはもはや翻訳ではなくなる。

芸術作品に分類されるものは(1)人工物であり、(2)ある種の社会制度(アートワールド)の代理人から評価されるに値する一連の諸相を備えたものである(コースマイヤー『美学:ジェンダーの視点から』191-2)。

ディッキーにとって何かを芸術作品にするのはその対象が備えている何らかの諸相ではなく、それが「鑑賞候補地位を授与されている」という事実なのだ。この訳だと何かアートワールドの代理人(って誰よ)から評価されるに値する(美的・知的・あるいは一般化して芸術的)価値を備えた人工物が芸術作品だと言うことになってしまう。これはディッキーとは正反対の見解で、制度論でも何でもない。『折れた腕の前で』が芸術作品で花火がそうでないのは、別に前者には後者が持っていない「評価されるに値する」諸相があるからではない。単に我々の社会が、花火を芸術作品とするアートワールドを持っていないということに過ぎない。

それにしても、授与とか、代表とかはきつい言い回しで、ディッキーの意図に反して、芸術の制度が非公式のものであるという性質を隠蔽することになってしまう。だからウォルハイムの揶揄が成り立ったので。それゆえ、ディッキーは84年以降、この言い回しを避けて次の五つの循環した定義によって芸術を特徴づけるという戦略に転換する。

芸術家とは理解しつつ芸術創作に参与する人物である。An artist is a person who participates with understanding in the making of a work of art.(芸術家とは、自覚的に芸術作品制作に参加している者である。)

芸術作品とはアートワールドの公衆に示されるように創造された一種の人工物である。A work of art is an artifact of a kind created to be presented to an artworld public.(芸術作品とは、アートワールドの公衆/愛好者に見せることを目的として制作される人工物である。)

公衆とは自らに示されたものをある程度理解する用意がある人々を要素とする集合である。A public is a set of persons the members of which are prepared in some degree to understand an object which is presented to them.(公衆/愛好者とは見せられる作品を何らかの形で理解する準備がある者である)

アートワールドとはすべてのアートワールドシステムの全体である。The artworld is the totality of all artworld systems(アートワールドとは、すべてのアートワールドシステム(すなわち、絵画、彫刻、パフォーマンス、音楽、小説といった芸術ジャンル)の総体である。)

アートワールドシステムとは芸術家が芸術作品をアートワールドの公衆に示すための枠組みである。An artworld system is a framework for the presentation of a work of art by an artist to an artworld public.(アートワールド・システムとは、アーティストがアートワールドの公衆/愛好者に芸術作品を見せるための枠組みである。

こちらの方は、コースマイヤー『美学』の訳は括弧内に示した。まあ、細かい誤訳がいろいろあるし、全部を指摘しないけれど、「一種の」人工物(an artifact of a kind)てのはディッキーの芸術作品に対する「人工物」規定への批判、「ダンスって人工「物」じゃないし、流木芸術って別に作ってないよね」に対応して出てきた限定で、「パフォームされたり、ただ置かれたりってのも入れるよ」って言い訳なので、「一種の」を省略するとまずいと思う。

四つ目の規定の(すなわち……といった芸術ジャンル)はディッキーが直後に付け加えた説明を文章の中に組み込んだもので、ここはディッキーからの直接の引用という形をとっていないのでコースマイヤーの議論も、その訳としても特に間違いではない。

私がここで問題にしたいのは、この誤訳が、表面上とても滑らかなテキストに包まれていて、何の問題もなく理解でき、なおかつ、少なくとも1974ヴァージョンの訳の方は出鱈目だということだ。ものが、「評価されるに値する一連の諸相を備え」ているかどうかは、ディッキーにとって芸術であるかどうかと全く無関係だ。つまり、ものを芸術作品にしているのは、「鑑賞候補地位を授与された」という事実であり、もの自体が「備えている」性質ではない。どんなすぐれた「諸相」を備えていようが、地位授与の事実がなければ、つまり芸術家によって「みてね」と差し出されなければ、それは芸術作品ではない。だから「制度論」なのだ。この箇所は、分からない部分をぶった切って辻褄を合わせるいわゆる超訳になっている。

⑵ダントーのアートワールド論

ジョージ・ディッキーと共に、アーサー・ダントーのアートワールド論も、コースマイヤーにとって、あるいはフェミニズム美学にとって貴重な理論的根拠になり得るものだ。だから、彼女はダントーのアートワールド論もある程度丁寧に紹介している。ところが、ディッキーの箇所と同様、ダントーの議論についても、この翻訳ではおよそダントーが主張するはずのないことをダントーに主張させてしまっている。

本書は共同訳で、ディッキーやダントーの議論の紹介は第五章「芸術とは何か」に入っている。ここの訳者(石田美紀さん)は映像文化論の専門家で、最近では初音ミク研究なんかもあるみたい。だからやたら概念や用語の厳密さが問題になるいかめしい「美学理論」に慣れていなくても仕方がないのかも知れない。なので、propertyという分析哲学では「性質」と訳さないと…みたいな単語を「固有性」と訳していてもまあそれは仕方がない。

でも例えば次の箇所なんぞ、そういうのとは随分違う問題があるようだ。(文ごとに数字を補う。また、問題にしたい箇所を赤字に変えている)

(1)ダントーの主張では、芸術―あらゆる時代・場所のすべての芸術―は何かについてのものであり、意味を備え、内容を伴っているはずのものである。(2)つまり芸術作品そのものにその意味は具現化されていなければならない。(3)ただし、それがいつの時代も同じ方法でおこなわれるわけではないことは、「芸術と言う概念」(原文傍点)芸術制作の中で果たしている役割示している。(4)たとえば、一九六〇年代の洗練されたニューヨーカーでも、アンディ・ウォーホールの『ブリロ・ボックス』を芸術と見なすことはできなかった。(5)以前は、こうしたコンセプチュアルな離れ業が不可能であるばかりか、無意味なものでしかなかったのである。(6)二〇世紀半ばまでの芸術概念の必要条件は、ポップ・アートを生み出したり、認めたりするようなものではなかった。(7)ダントーが述べるとおり、「何かを芸術と見なすには、芸術理論への親しみと美術史の知識が何よりも必要である。195-96

Kindleで原文を手に入れたので、この箇所の原文と試訳を提示してみる。なお、Kindle for PCはなぜかコピペできない仕様みたいで、キーボード入力なので誤記はご容赦。それとページ数が分からない。Kindle版にあるのは文の数なのかなぁ。引用は第五章のArt as a Mirror: Arthur Dantoの節から。

It is Danto's contention that art - all art at any time or place - must be about something, must bear meaning, have content; and that its meaning must be embodied in the artwork itself. This is not and cannot be done the same way at all periods of history, a fact that indicates the role of concepts of art in the production of art. Sophisticated New Yorkers of the 1960s were just barely able to see Andy Warhol's Brillo Box as art, for example; such conceptual feat would have been not only impossible but nonsensical at an earlier period of history. Requisite conceptions of art were not in place to produce or to recognize Pop Art until the mid-twentieth century. As Danto puts it, "to see something as art at all demands nothing less than this, an atmosphere of artistic theory, a knowledge of the history of art."((1)芸術は、時代や場所を問わず全ての芸術は、何かについてであり、意味を持たねばならず、内容を持たねばならないというのが、(2)また、その意味は芸術作品それ自体のうちに具体化されていなければならないというのがダントーの主張である。(3)これは歴史のすべての時代に同じようになされているわけでもなくそんなことなど出来やしないという事実は、芸術創作において「芸術概念」が果たす役割の大きさを示している。(4)例えば、1960年代の洗練されたニューヨーカーはかろうじてなんとかウォーホールの『ブリロ・ボックス』を芸術として見ることが出来たのだ。(5)こうしたコンセプチュアルな離れ業は歴史のそれより前の時代には不可能だっただけでなくナンセンスでもあった。(6)二十世紀半ばまでは、ポップ・アートを作り出したり認めたりするのに必要な芸術の観念が存在していなかったのだ。(7)ダントーの言い方だと、「そもそも何かを芸術として見るためにはまさに次のことが必要だ。芸術理論の雰囲気と、芸術史の知識である。」)

この段落の文は(5)を除きほぼすべて訳が不適切で、それがダントーの議論を分からないものにしている。

(1)is about somethingを「何かについてのもの」と「もの」を補うのは芸術が何らかの「もの」でなければならないというダントーがコミットしない考え(コンセプチュアル・アートは「もの」じゃないし)を反映しているので良くないし、mustはここでは「はず」ではない。彼はここで何かが芸術であるための「必要条件」について語っているので、「ねばならない」の意味の方だ。

(2)「つまり」じゃない。芸術が「意味を持つ」ことと意味が「作品そのものに具現化されている」のは別のことだ。何かが作品そのものに具現化されていない意味を持つことはいくらでもある。ここでandは連言として訳さねばならない。

(3) 主語と目的語を逆転してしまった。ダントーが言うのは、歴史によって意味の作品への具体化のあり方が違うという事実があって、それが示しているのは、「芸術概念」の役割だってことだ。

(4) ブリロボックスっていつの作品だったっけ?60年代の洗練されたニューヨーカーがそれを芸術と見なせなかったとしたら、誰ができたんだろう?just barelyはここで「漸く何とか~した」という肯定のニュアンスだ。もちろん、ここを肯定的に訳すか否定的に訳すかは、ブリロ・ボックスの受容の知識が必要だろうけれど、これを単にnotと同じとして訳すのは不誠実だ。著者がそこに込めたニュアンスをぶった切ってしまうことになる。

(6)何かを生み出したり認めたりすることは「芸術概念の必要条件」なのではない。ポップアートを作り出したり認めたりするために必要なrequisite芸術の観念(conception of art)」がまだなかったと言われているのである。

(7)(a) nothing less thanは「何よりも」ではない。Dantoによると、「ブリロ・ボックス」に限らず、すべての芸術作品について、私たちはそれと知覚的には(見た目では)識別不可能だけれど芸術でない対象の存在する世界を想像することが出来る。そのような可能世界において、私たちはその両者を芸術作品が持つ「理論の雰囲気」によってのみ区別出来るのであり、他の仕方では区別出来ないのだ。
(b) see asはここでは「見なす」ではない。私たちはあるものを全く芸術として「見る」ことが出来なくても、それを芸術と「みなし」うる。お金持ちが壁にロスコーを飾るときとか、ウォーホールを競売にかける係員などがそうだ。
(c) ダントーの問題は、デュシャンやブリロのように知覚上識別できないものの一方が芸術作品で一方が芸術作品でないのはなんで?ということだから、知覚上ブリロの箱と識別出来ないウォーホールの作品を芸術「として見る」ために要求されることがらが重要であって、それが「理論の雰囲気と芸術の歴史の知識」なのだ。atmosphere of artistic theoryは確かに面倒な概念で、「芸術理論の雰囲気」では曖昧すぎるような気がする。 ただ、Dantoは決して、鑑賞者が何かを芸術作品と見なすために芸術理論をよく知ってなければならないということを主張しているのではない。鑑賞者は芸術理論を知らなくても、例えばラベルとか値段とか展示場所とかから、それを芸術作品と見なすことが出来る。何かを芸術作品として「見る」ためには、その何かが「理論の雰囲気」に包まれていること、アートワールドの中に置かれていることが根本的に重要だと言っているのだ。
(d) the history of artはこの場合は「美術史」に限定されない。

一段落だけを挙げたが、他の段落もここまで酷くはないが、小さな無理解が重なって、全体としてダントーの主張が歪められてしまう。たとえば次のダントー自身の引用。

チューリップやキリンを認識するように、知覚することで芸術を見分けられる、そんな時代があった。しかし、事情は変わってしまい、芸術は何でもありとなっている。だから見ただけでは、芸術かどうかは判断できない。もはや批評家の鑑識眼といった基準はふさわしくないのである。(194)

もし芸術が「何でもあり」なら、見ただけでなくても、どのような理論的な背景をもってしても芸術かどうかは判断できないだろう。

There used be a time when you could pick out something perceptually the way you can recognize, say, tulips or giraffes. But the way things have evoloved, art can look like anything, so you can't tell by looking. Criteria like the critic's good eye no longar apply. (例えばチューリップやキリンを見分けるように、知覚を通じて何かを芸術として選び出すことが出来た時代があった。しかし、事情は変わってしまい、芸術はどう見えても構わなくなっており、だから見ることによっては区別できない。批評家のすぐれた眼のような基準はもはや通用しないのである。)

知覚的に識別出来ないものの一方が芸術作品で一方がそうではないことがあり得るという事情は、芸術の「見え方」あるいは「知覚的性質」が「何でもあり」になったことを意味し、それは芸術が「何でもあり」になったこととは異なるのである。なお、「知覚を通じて何かを芸術として選び出すことが出来た時代」は現実世界には存在したという歴史認識と、常に、芸術作品と知覚的に識別不可能な非芸術作品が存在する可能世界があるという先ほどの哲学的議論は矛盾しない。

次の文章。

また、これらの作品は既定の芸術に備わるあらゆる価値を断固として認めまいとするにもかかわらず、いまや二十世紀の美術年鑑に記載されている。その理由の一つは、こうした作品が「アートワールドのなか」(原文傍点)で、美的判断と大衆文化について、価値と固有性について、芸術家と公衆/愛好者の役割について、意見を表明しているからである。それらは、芸術それ自体「について」(同上)核心をついた見解を提示するのである。(195)

「二十世紀の美術年鑑」は一見どこかおかしいとして、この文なんか素直に分かる。でも、よく考えると芸術作品が芸術それ自体について「核心をついた見解を提示する」というのはここであげられた(デュシャンやウォーホールなどの)芸術のあり方にもダントーの見解にも合わない。ダントーは決して、これらの芸術の芸術観が「核心を」ついていなければならないとは考えているわけではない。

ダントーにとって、何かを芸術にしているのはアートワールド、つまり芸術そのものにある理論の「雰囲気」だ。芸術は従って常に何かに「ついて」(about something)でなければならない。意味を持たねばならないからだ。肖像画はとりあえずは対象となった人に「ついて」の絵である。それは同時にあるスタイルに「ついて」かもしれず、あるイデオロギーに「ついて」かもしれないのだけれど。

とすれば、デュシャンの『泉』やウォーホールの『ブリロ・ボックス』のような作品は何に「ついて」なのだろうか。それらは知覚可能ないかなる形式的特徴によっても、「何かについて」ではない非芸術作品(ただの実物)と区別出来ないのだ。そうした芸術作品に関して、ダントーはそれが「芸術とは何か」という問いに「ついて」だと考える。何かが芸術であるということにとって重要なのはabout somethingであることつまりaboutness(「ついて性」)なのであり、それが核心をついているかどうかではない。

And yet, despite these efforts to repudiate every value of art establishment, these works are now included in the chronicle of twentieth-artworld. One reason for this is that such works are comments within artworld - about aesthetic judgment and mass culture, about value and property, about the role of the artist and the public. They are profoundly about art itself. しかしそれにもかかわらず、つまり芸術という体制のすべての価値を論駁しようというその努力にもかかわらず、これらの作品は今や20世紀のアートワールドの編年史の中に組み込まれている。その理由の一つは、そうした作品がアートワールド内部でのコメントだということだ。それらは美的判断とマスカルチャーについての、価値と性質についての、芸術家と公衆についてのコメントなのだ。それらは真底から芸術それ自体に「ついて」なのだ。


 ブレヒト『アンティゴネ』について

ブレヒト版の『アンティゴネ』の翻訳についてのツイートをトゥギャリました。2022年四月に西洋比較演劇研究会でブレヒト版についての発表を行う予定です。

久しぶり(4年以上)のブログの更新です。bloggerの更新の仕方を忘れていたのですが、自分のブログに書いてあった↓のでやってみたら出来ました。

2018年3月1日木曜日


紀要論文 「芸術作品の定義」

群馬県立女子大学紀要38号 (2018)に掲載された論文です。

元々10年ほど前に美学会東部会で発表したのですけれど、面倒でそのまま放置していたのをちょっとだけアップデートして公開。今となってはあちこち古いけれどそんなに間違った感じもしていないのでまあいいや。
女子大の紀要は基本的に群馬県地域共同レポジトリ(AKAGI)に公開される筈だけれど、この三年ほど公開されていない。不思議。一応電子ヴァージョンが投稿者には配付されるのですが、まだなので紙をスキャンしてOCRにしたヴァージョンです。

2017年12月19日火曜日

TLG Abridged でギリシア語を読む

TLG Abridged 再訪 (パソコンでギリシア語を読む)

Thesaurus Linguae Graecaeは古代ギリシア語の全文献を収めたテキストデータベースで、かつてはCD版で配付されていたが現在はWeb版のみになっている。五年で500ドルくらいのサブスクリプション費用がかかる。CD版の頃はいろいろなソフトウェアが開発されていたが、ライセンス切れと同時にCD版を返却するシステムなので、もう全員がWEB版に移行したためソフトウェアはなくなってしまった。(Diogenesだけなぜかまだ残っている)。
私自身、すべてのギリシャ語データにアクセスして統計的調査をする、ということを殆どしなくなったのでTLGのサブスクリプションを止めてから随分立った。その代わりに無料のTLG Abridgedが、そこに収録されているテキストを読むために不可欠のサイトになっている。久しぶりのブログはそちらの紹介。
TLG Abridgedのサイトに入ったらまずアカウントを作る。Visitorアカウントは無料。若干の検索もできるみたいだが、取り敢えずは「ギリシャ語テキストを読むため」に利用するので、General (Greek表示とGreek Input)とBrowse(一ページ行数) の設定だけしておく。
それでBrowseタグをクリックして出てきたボックスに読みたい作者名を入力、作品を選択してページを選ぶと読み始めることが出来る。
意味を調べたい単語があれば、クリックで右に項目が出て、LSJをクリックするとその項目が(単語の分析はPerseusのよりも確実)別タブに表示され、これが(ブラウザの機能なのだが)便利なところなのだけれど、そのタブを外に出せば、単語を調べる時にはその同じ窓で更新される。
私が『詩学』読んでいる時ってこんな感じ(左上がテキスト、右上が自分のノート、左下がLSJ、右下がいろんなコメンタリー(自炊PDF。PDF用のタブブラウザを使い、タブで切り替えるようになっている)。このために4K対応のモニターを購入したけれど、解像度も大事ながら、画面の物理的な大きさも大事だと実感しているところ。英和とか独和が裏に回るか別画面になって少し面倒くさい(ノートパソコンの付属のモニターを○和辞書専用にしているけれど)。

2017年5月7日日曜日

「アリストテレス『詩学』翻訳と注釈」(2):4章


以前公開した



をアップロードしました。上記タイトルクリックでダウンロードできます。

紀要に定年まで『詩学』の翻訳と注釈を書いていこうかなと思ったら、まず去年間に合わず、最初から予想していたことだけれど、長大ランニングコメンタリーの徴候が既に出ているのでこのままでは定年までに完成しない。(ランニングコメンタリーはやるのはそんなにしんどくないけれど量が増える)

その後、多分その頃にはギリシャ悲劇の翻訳も今ある『オイディプス王』以外にも一点私の訳が出版されているはずなので、電子本の形で、どこかでこっそり公開しよう。


2015年8月18日火曜日

ブレヒト『アンティゴネ』光文社新訳文庫版について(2) 「第四のコロス』

私が、ブレヒトの『アンティゴネ』についての議論で特に興味があるのは、「アンティゴネの「英雄的行為」も長老たちによって批判の光にさらされる」(p.148)ってブレヒト理解として正しいの?って言う点だ。訳者の谷川さんは、その証拠として「だがあの女、すべてを悟りはしたが、ただただ敵を助けたばかり」というコロスの最後の言葉と、「第四コロス」(死出の道行きの後の合唱歌)での「不幸を隠す砦のかげで、ぬくぬくゆったり座っていたはず」という言葉を挙げる。前者が「コロスのアンティゴネ批判」になっていないこと、むしろ伝統的な「苦しみを通じて学ぶ(パテイ・マトス)」の構造を受け継いで、コロスが漸くアンティゴネの行為の意義を理解したことを示しているというのが、前回の私の解釈だけれど、後者に関しては、別にここでコロスがアンティゴネ批判しても悪くはないようには思う。ここのコロスは「長老」としてではなく、むしろ作者の声の代弁者として語っているのだから。問題はコロスがアンティゴネの何を批判しているのかだ。
(この箇所に関しては私は持田さんの解釈も良く分からないので持ち出さない。)

光文社版の訳
だがあの娘もかつては、/奴隷たちが焼いたパンを食べていたはず、/不幸を隠す砦のかげで、/ぬくぬくゆったり座っていたはず、/ラブダコス家の一族から、/人を殺しに出かけた戦争が人を殺しに帰ってくるまでは。/血まみれの手が戦争を身内のものにもさしだした、/しかし身内は受け取らず、/それを相手の手から奪い出す。/怒りに燃えたあの娘、誠の世界に身を投げる。/つまりはやっとあの娘、外の世界に身を置いた。」(p.86-7)。

ドイツ語
Aber auch die hat einst
Gegessen vom Brot, das in dunklem Fels
Gebacken war. In der Unglück bergenden
Türme Schatten: saß sie gemach, bis
Was von des Labdakus Häusern tödlich ausging
Tödlich zurückkam. Die blutige Hand
Teilt’s den Eigenen aus, und die
Nehmen es nicht, sondern reißen’s.
Hernach erst lag sie
Zornig im Freien auch
Ins Gute geworfen!

さて、コロスはアンティゴネがどうだと批判しているのだろう?「奴隷たちが焼いたパン」「ぬくぬくゆったり」という言葉からは、彼女が王族であることが批判されているようにも見える。でも「奴隷」は原文にないし「ぬくぬくゆったり」はgemachの訳としては悪意のニュアンスが強すぎる。直訳は「かつては暗い岩穴で焼かれたパンを彼女も食べていた」「彼女は静かに座っていた」で、前者は当然、アンティゴネがこれから閉じ込められる「人里離れた岩穴」からの連想で、後者は「lag sie zornig im Freien」との対比だ。
ここに「奴隷たち」を入れたのは例えばリヴィングシアターのジュディス・マリーナによる英訳で、当該箇所は次のように訳されている。

マリーナの英訳
But she too once
ate of the bread that was baked by slaves
 in the dark cliffs. She sat still in the shade 
of the prison towers that shelter sorrow, till all 
that had left the deadly doors of Labdacus' house 
re-entered dead. The bloody hand 
deals out to each his own, and they don't just take it, they grab it. 
Only thereafter she lay 
rebellious in her freedom, 
thrust into the good.

この訳の面白いところは、「不幸を隠す塔」の「塔」をprison towersと訳し、Schuldturmに似た意味、つまり監獄の意味で理解している点だ。アンティゴネは「悲しみを隠す監獄」が作り出す陰の中に、つまり監獄の外にいたとされている(塔が「陰」を作るのは塔の外の地面だ)。「奴隷」がパンを焼いた「岩穴」は、囚人が不幸のうちに収容されている「塔」と比喩的に等値なものとみなされ、彼女は壁一枚でそれと接しながらそこから「守られ」「静かに座っている」。

この訳から原文を見ると「奴隷」とか「監獄」とかの言葉は用いられていないけれど、ドイツ語の「不幸を隠す塔の陰」も、中に不幸が隠れた(つまり苦しむ人がいる)塔(複数形)があり、彼女はその外で、塔が作り出す影のなかで、それに気づかずに座っていたことを含意している。「塔」は収容所だ。人々は収容所の外を行き交いながら、そこがどんな暴虐を隠し秘めているのかをアンティゴネのように気づかずに、あるいは多くのドイツ人のように気づかないふりをして過ごしている。中での強制労働は、外の人たちの生活物資をも提供している。

壁一枚隔てた牢獄の悲惨に外の人たちが気づかないというこの構造は、クレオンがアンティゴネを岩穴の中に生きたまま閉じ込めながらも、「埋葬されたかのように」死者の贄に相応しい飲み物と食べ物を与えるのと対応している。岩穴の外を通る人は、中に不幸が隠れていることに気づかない。

その意味では、奴隷という言葉は余計だ。「暗い岩穴の中で」焼かれたパンを、「不幸を閉じ込めて隠す塔」の外で、そこに閉じ込められた人たちのために何かをすることなく静かに座って食べていた過去と、「暗い岩穴」へと投げ込まれることになる現在との対比は「奴隷」という言葉なしでも分かる。

これから放り込まれる「岩穴」の外で「かつては」生きていた(パンを食べていた)ことは、批判されるとしても、それはけっして、「ぬくぬくした生活」をおくってきたことへの批判ではない。

それでも彼女はあるときまでは闘わずに「静かに座っていた」。そのことが長老たちによって批判されているのだろうか?それをテキストから知るためには、いつ、彼女に変化が生じたとされているのかが大事だ。光文社訳だと「戦争」が自国に迫るまで、ということになるだろう。でも直訳すると「ラブダコスの家から死をもたらすために(tödlich)出て行ったものが、死とともに(tödlich)帰ってくるまで」だ。

アンティゴネは兄弟の死によって反逆に目覚めたのだから、「死とともに(tödlich)帰ってきた」の死 (Tod) が意味するのがポリュネイケスとエテオクレスの死であることは明らかだと思われる。エテオクレスの死によって恐怖に駆られ逃亡したポリュネイケスがクレオンによって殺され禿鷹のえさにするようにと埋葬を拒否された、それが彼女が立ち上がったきっかけだ。

ラブダコスの家から「死をもたらしに出て行き」「死とともに戻った」ものを「戦争」と訳してしまうと、間違いとまでは言えないけれど話がぼやけてしまう。国家のふるう暴力は戦争だけではないし、彼女が立ち上がったのは「戦争」が戻ってきたからではなくて国家の不正な暴力が自分の兄弟に襲いかかったからだ。「人を殺しに帰ってくる」は間違いと言って良いと思う。

それに続く箇所の「血まみれの手 (die blutige Hand)はポリュネイケスを自ら惨殺したクレオンだとして、クレオンが「それを分け与えた(Teilt’s)」眷属(den Eigenen)とは、クレオンがポリュネイケスの遺骸を食わせようとした「禿鷹」だろう。(「嘆く者もなく、墓もなく、その亡骸を/禿鷹のごちそうにせよと。」(p.25))。reißen's はそうすると「引き裂く」「八つ裂きにする」だ。(ちなみに、リヴィング・シアターの『アンティゴネ』上演では、コロスがこの禿鷹を当て振りのように演じていた。)

そうなって初めてアンティゴネは怒りとともに「陰」から飛び出す。しかしその行為は彼女の岩穴への生きたままの埋葬をもたらす。彼女は自由と善を得たが、それは岩穴に「投げ込まれ」、その中で「倒れる」ことによってなのだ。最後の「自由の中で倒れ伏し、善の中へと投げ込まれた」はそんなに難しい比喩ではないだろう。

なのでこの箇所の試訳はつぎのようになる。

でもかつては彼女も暗い岩穴で焼かれたパンを食べていた。不幸を閉じ込め隠す塔の陰で。彼女は静かに座っていた。でもそれは、死をもたらすためにラブダコスの家から出かけたものが死を持ち込んで帰ってくるまでのこと。血まみれの手がそれを自分の眷属に分け与えるが、眷属はそれを受け取るのではなく八つ裂きにする。そうなって初めて彼女は自由の中で怒りとともに倒れ伏し、善の中へと投げ込まれた。

これが批判だとすれば、アンティゴネが身内の死によって初めて塔の中に不幸が閉じ込め隠れていることに気づいたことへの批判ではありうるかもしれない。アンティゴネは兄の死と埋葬拒否によって祖国の非道に漸く目を向けた。石壁一枚隔てた塔の中には多くの絶望がありながら、彼女はそれから隔てられ、塔の外の日陰で静かに座っていた。気づいていなかったのかも知れない、でも気づくべきだったのかも知れない。身内が非道の犠牲になって、初めて、自由のために闘い、倒れ、善がこの国で唯一存在できる場所へと投げ込まれたのだと。それでは遅すぎるという「批判」は可能だろう。でも、彼女が「ぬくぬくゆったり」暮らしていたかどうか、「王族だった」とか「奴隷」もいただろうとかはこの「批判」とは全く無関係だ。

ブレヒト『アンティゴネ』光文社新訳文庫版について(1) 最初と最後

ブレヒトの『アンティゴネ』の邦訳が酷く、その酷さが一つの先行訳の間違いを他の訳が引き継いだために生じたのではないかというのはすでに持田睦さんがブログで数度にわたって検討されている。これは常識的に考えると翻訳にクリーンルーム方式がなされていないということを意味する。つまり、右手に原文、左手に既訳を置いて、それで日本語をいじって訳を作っているのではという疑いを招く。かつて岩淵達治がブレヒトの別の作品のある訳について怒っていたのを思い出す。そのときは、「同じ原文の訳だから似ることもあるでしょ」と思ったし、自分が『オイディプス』を訳したときのことを考えると、若いときに読んだ訳本の表現が無意識に出ることはあるので、表現の類似で「自分の訳のパクリだ」と主張するのは筋が悪いなと思っていたのだけれど、間違いが引き継がれ続けるというのはまた別の話だ。但し、著作権法で保護されるのは表現であるため、このことは法的に問題があるわけではない。また、持田さんが指摘している箇所について、訳者がたまたま同じ間違いをしでかしているという可能性も数学的にはある。ちなみに、持田さんの推論では、谷川訳は「誤訳の伝染」の源であって、他の訳がそれを参照しているらしい。
『アンティゴネー』と誤訳の伝染 (2009)
ストローブ=ユイレ「アンティゴネー」のDVDに付された字幕について (2011)
ブレヒト版『アンティゴネー』の誤訳の伝染を防ぐために (2014)

持田さんの議論は、誤訳の伝染(つまり先行訳を参照して新しい訳を作ったために先行訳の誤訳がいかに引き継がれるか)を中心にしているので、とても面白いのだけれど、読んでいて分かりにくいのも確かだ。また、若干解釈が分かれる所もあるので、持田さんの解釈に頼りつつも、挙げられた箇所に関する自分の理解を光文社古典新訳文庫の谷川道子訳と対比する形で書いておくことにする。
テキストにいろいろ面倒な面はあるものの、間違い自体は単純ミスのレベルも多い。テキスト原文は持田さんのブログにあるものが正しいと仮定する。

(1) 冒頭のアンティゴネとイスメネの会話
アンティゴネがイスメネに死んだ兄たちについて何か知らないかと問いかけるのに対してイスメネは次のように答える。
私は広場には行かなかったの、アンティゴネ。親しかった人たちでさえ、もう誰も言葉なんぞかけてくれはしない。優しい言葉どころか、哀しい言葉だって。だからこれ以上、嬉しくなりようも哀しくなりようもないわ
"Nicht auf dem Markte zeigte ich mich, Antigone.
Nicht ein Wort kam zu mir von Lieben mehr
Nicht ein liebliches und auch kein trauriges
Und bin nicht glücklicher und nicht betrübter."

問題はvon Liebenって何?ってことなんだけれど、この訳それ以外にも随分いい加減だ。2行目のkamが「言葉なんぞかけてくれはしない」と現在になっているし、単なる bin (英語のam) に「嬉しくなりようも哀しくなりようもない」って変なニュアンスがついている。
言っているのは素っ気ないほど簡単なことで「広場に出なかった→アンティゴネが伝えたこと以上の言葉は、嬉しい言葉も哀しい言葉も聞いていない→だからそれ以上に嬉しくも哀しくもない」ってだけだ。大体この時点でイスメネもアンティゴネも別に村八分にされている訳ではないので、「もう誰も言葉なんぞかけてくれはしない」なんてはずはない。それ以上のことを知らないのは、イスメネが最初の兄弟の死のニュースを聞いてから「広場にでなかった」からだ。
で、ここのvon Liebenは、ソフォクレスの原文では、アンティゴネとイスメネにとっての肉親φίλοιであるポリュネイケスとエテオクレスを指すと理解するのが多数派で、解釈上決着がほぼついたところである。「私は広場には行かなかったの、アンティゴネ。親しい人たちについての話は、それ以上一言も聞いていないの。優しいのも悲しいのも。だから、より喜んでもないし悲しんでもないの
語学的には、ソフォクレスでもブレヒトでも、「親しい人たちからの言葉を聞いていないの」も可能ではある。実際19世紀末あたりのJebbのソフォクレス英訳では"To me no word of our friends"になっている。でも、文脈的にこのvon Liebenを、アンティゴネの最後の言葉「滅び行くオイディプス一族(つまりポリュネイケスとエテオクレス)」と理解しないことはブレヒト版では難しい。

(2) クレオンがなぜコロス(長老たち)を呼び出したのかを説明する場面。コロスがクレオンに戦利品と勝利した兵士を乗せた戦車のイメージを出してクレオンを褒め称えるのに対してのクレオンの言葉。コロスは戦争が多くの利益をもたらすことを期待している。
それに対してクレオンは、その期待に応えようとして語り始める。
「すぐだ、我が友よ、それももうすぐだ。/さて、仕事にかかろう。/諸君はまだ、わしが神の館に剣を戻すのを見ていない。/つまりここに集まって貰ったのには、二つの理由がある。/その一つ、諸君は戦の神に支払う、敵を踏みつぶす戦車の代金の収支をないがしろにし、/戦場で捧げる息子たちの血も、出し惜しんでおる。/だが、もし戦の神が弱りはて、敗けて/ぬくぬくした屋根の下に帰ってきたりしたら、/その代償は高くつくことになる。/だからテーバイの民に、失ったテーバイの血は尋常ならざるものではないことを/即刻知らせてほしい。
「すぐだ、我が友よ」って始めているように、クレオンはコロスにここでは友好的。コロスが集められた目的は二つ。二つ目は、ポリュネイケスの埋葬禁止を伝えることだけれど、一つ目は、この訳だとテーバイの犠牲者が少ないことをテーバイ市民に伝えること。赤色の部分、戦勝の知らせでこんなこと言っても意味ない。「敵を踏みつぶす戦車の代金の収支をないがしろにする」って端的に訳(わけ)が分からないし「血も、出し惜しんでおる」って戦争に勝ったんだからそんなこと言わないよね。次の二行も意味不明。「負けたら大変だよ、だからもっと兵を出せ」って意味だろうと思うのだけれど、戦争に勝ったんだし。それだとその後の「犠牲は少なかったと知らせて」というのと整合性がない。
で原文
Euch nämlich rief aus zwei Ursachen ich
Aus den Gesamten; einmal, weil ich weiß
Ihr rechnet nicht dem Kriegsgott die Räder nach
Am feindzermalmenden Wagen, noch geizt ihm
Das Blut der Söhne im Kampfe, doch ist
Kehrt er geschwächt unters wohlgeschirmte Dach
Viel Rechnen am Markt, daß ihr mir also
Den Blutverlust der Thebe zeitig beibringt
als übers Übliche nicht gehend.

試訳(持田さんともちょっとずれた)「まず第一に、諸君は軍神の乗る、敵を踏みつぶす戦車の車輪を数え直したりはせず、戦場で軍神に捧げる息子たちの血も出し惜しみしていないことは知っている。それでも、良く保護された(テバイの)屋根に戦車が弱くなって戻るときには、多くの計算が市場ではなされることも分かっているのだ。だからテーバイの失われた血は通常を超えていないことを、直ちに私に伝えて貰いたい
持田さんとずれた部分は私の間違いの可能性も大いにあるのだけれど、谷川訳の間違いは3行目のnicht〜と4行目のnoch〜が対応していて、「〜も〜もない」を意味することを無視したこと、「車輪の代金の収支をないがしろにする」ってのを非難の意味で取ったこと。収支をないがしろにしてるんだから、そんだけ総力戦で臨んだということだ。
持田さんとの解釈が違うところを述べておくと、私は、戦車(単数)が軍隊、車輪は軍事費の比喩だと考え、ここでクレオンは、軍隊が戻ったら直ちに損失の度合いを自分に教えてくれるようにコロスに頼んでいると理解した。それによって戦争の収支を考えねばならない立場に彼はいるからだ。彼自身も戦果と損失の割合をまだ把握していない。

(3) コロスの退場歌
〆の部分。コロスが教訓を歌うところ。ここは光文社訳は一体どうなったの?って感じ。
我らもまた、あの男の後についていこう、あの世の底へと。/我らを無理強いした手は打ち落とされて、/もはや我らを打ちのめしはしない。/だがあの女、すべてを悟りはしたが、ただただ敵を助けたばかり、/その敵が今ここに攻め入って、すぐにも我らを皆殺し。/なぜなら時は短く、まわりは災いばかり、/だから何も考えずに生きのびたり、/忍耐に忍耐を重ねたり、/悪虐非道へ走ったり、/年とってからやっと賢くなったり、/そんな余裕は、人間には決してないのじゃ。」

Wir aber
Folgen auch jetzt ihm all’, und
Nach unten ist’ s. Abgehaun wird
Daß sie nicht zuschlag mehr
Uns die zwingbare Hand. Aber die alles sah
Konnte nur noch helfen dem Feind, der jetzt
Kommt und uns austilgt gleich. Denn kurz ist die Zeit
Allumher ist Verhängnis, und nimmer genügt sie
Hinzuleben, undenkend und leicht
Von Duldung zu Frevel und

Weise zu werden im Alter.

二行目のauch jetztが「我らもまた」になっているのは単純な語学的ミスだと思う。「私たちはしかし、この期に及んでもあの男について行く、つまり落ちてゆく」その次の箇所が持田さん訳だと「切り払われてしまうのだ/もはや振り下ろされることのないようにと/私たちの身から、拘束されるべき手は」となっていて、確かにこの箇所でコロスがクレオンに無理強いされていたなんて弁解するのはおかしいし、コロスがこの芝居でクレオンに「打ちのめされて」いたわけではないので、die zwingbare Hand はコロス自身の手なんだろう。...barは他動詞について「せられ得る」 「せられるべき」(クラウン独和)を表すので(持田さんの説明のとおり)「縛られるべき手は私たちから切り落とされて、もう殴ることはない」で、これはジュディス・マリーナのリヴィングシアター上演テキストでの「 Our violent hand shall now be cut off so that it shall not strike again.」とも対応している。そういう「私たち」と「すべてを見て取った」彼女とが「でもすべてを見て取った彼女は」と対比されている。Feindの後の関係代名詞のderは限定用法だと思う。「すべてを見通した彼女は、いまややってきて間もなく私たちを滅ぼす敵を助けるしかなかった。なぜなら、時間は短くあたり一面に不幸があり、何も考えずに気楽に(受動的)忍耐から(積極的)邪悪までだらだらと生き続けて、それから歳を取って賢くなるには、時間は充分ではないからだ。」マリーナの訳は"it isn't enough just to live unthinking and happy / and patiently bear oppression / and only learn wisdom with age." で、patiently bear oppression (抑圧を我慢強く耐える)になっていて、持田さんの「悪事を黙認しながら生き」と構文の理解では一致している。ただ、Von Duldung zu Frevelは、「時間が短く不幸が至る所にある」状況で、その不幸を考えなしに消極的に耐えたり積極的に加えたりするような人生をだらだら生きるhinleben (hinは「成り行き任せ」の感じを表すのかなぁ(大独和))その振れ幅をvon..zu..(〜から〜まで)で表しているのではないかしら。論理ははっきりしていて、「私たちはクレオンに従って滅びる。だがすべてを知った彼女は敵を助けるしかなかった。不幸が充ち、時間がなく、日和って生きて年を重ねて賢くなるほどの余裕はなかったからだ」で、これを「コロスのアンティゴネ批判」と読むのは端的に間違いなので、この訳本の解説を論文に使おうとする人は注意が必要。