2015年8月18日火曜日

ブレヒト『アンティゴネ』光文社新訳文庫版について(2) 「第四のコロス』

私が、ブレヒトの『アンティゴネ』についての議論で特に興味があるのは、「アンティゴネの「英雄的行為」も長老たちによって批判の光にさらされる」(p.148)ってブレヒト理解として正しいの?って言う点だ。訳者の谷川さんは、その証拠として「だがあの女、すべてを悟りはしたが、ただただ敵を助けたばかり」というコロスの最後の言葉と、「第四コロス」(死出の道行きの後の合唱歌)での「不幸を隠す砦のかげで、ぬくぬくゆったり座っていたはず」という言葉を挙げる。前者が「コロスのアンティゴネ批判」になっていないこと、むしろ伝統的な「苦しみを通じて学ぶ(パテイ・マトス)」の構造を受け継いで、コロスが漸くアンティゴネの行為の意義を理解したことを示しているというのが、前回の私の解釈だけれど、後者に関しては、別にここでコロスがアンティゴネ批判しても悪くはないようには思う。ここのコロスは「長老」としてではなく、むしろ作者の声の代弁者として語っているのだから。問題はコロスがアンティゴネの何を批判しているのかだ。
(この箇所に関しては私は持田さんの解釈も良く分からないので持ち出さない。)

光文社版の訳
だがあの娘もかつては、/奴隷たちが焼いたパンを食べていたはず、/不幸を隠す砦のかげで、/ぬくぬくゆったり座っていたはず、/ラブダコス家の一族から、/人を殺しに出かけた戦争が人を殺しに帰ってくるまでは。/血まみれの手が戦争を身内のものにもさしだした、/しかし身内は受け取らず、/それを相手の手から奪い出す。/怒りに燃えたあの娘、誠の世界に身を投げる。/つまりはやっとあの娘、外の世界に身を置いた。」(p.86-7)。

ドイツ語
Aber auch die hat einst
Gegessen vom Brot, das in dunklem Fels
Gebacken war. In der Unglück bergenden
Türme Schatten: saß sie gemach, bis
Was von des Labdakus Häusern tödlich ausging
Tödlich zurückkam. Die blutige Hand
Teilt’s den Eigenen aus, und die
Nehmen es nicht, sondern reißen’s.
Hernach erst lag sie
Zornig im Freien auch
Ins Gute geworfen!

さて、コロスはアンティゴネがどうだと批判しているのだろう?「奴隷たちが焼いたパン」「ぬくぬくゆったり」という言葉からは、彼女が王族であることが批判されているようにも見える。でも「奴隷」は原文にないし「ぬくぬくゆったり」はgemachの訳としては悪意のニュアンスが強すぎる。直訳は「かつては暗い岩穴で焼かれたパンを彼女も食べていた」「彼女は静かに座っていた」で、前者は当然、アンティゴネがこれから閉じ込められる「人里離れた岩穴」からの連想で、後者は「lag sie zornig im Freien」との対比だ。
ここに「奴隷たち」を入れたのは例えばリヴィングシアターのジュディス・マリーナによる英訳で、当該箇所は次のように訳されている。

マリーナの英訳
But she too once
ate of the bread that was baked by slaves
 in the dark cliffs. She sat still in the shade 
of the prison towers that shelter sorrow, till all 
that had left the deadly doors of Labdacus' house 
re-entered dead. The bloody hand 
deals out to each his own, and they don't just take it, they grab it. 
Only thereafter she lay 
rebellious in her freedom, 
thrust into the good.

この訳の面白いところは、「不幸を隠す塔」の「塔」をprison towersと訳し、Schuldturmに似た意味、つまり監獄の意味で理解している点だ。アンティゴネは「悲しみを隠す監獄」が作り出す陰の中に、つまり監獄の外にいたとされている(塔が「陰」を作るのは塔の外の地面だ)。「奴隷」がパンを焼いた「岩穴」は、囚人が不幸のうちに収容されている「塔」と比喩的に等値なものとみなされ、彼女は壁一枚でそれと接しながらそこから「守られ」「静かに座っている」。

この訳から原文を見ると「奴隷」とか「監獄」とかの言葉は用いられていないけれど、ドイツ語の「不幸を隠す塔の陰」も、中に不幸が隠れた(つまり苦しむ人がいる)塔(複数形)があり、彼女はその外で、塔が作り出す影のなかで、それに気づかずに座っていたことを含意している。「塔」は収容所だ。人々は収容所の外を行き交いながら、そこがどんな暴虐を隠し秘めているのかをアンティゴネのように気づかずに、あるいは多くのドイツ人のように気づかないふりをして過ごしている。中での強制労働は、外の人たちの生活物資をも提供している。

壁一枚隔てた牢獄の悲惨に外の人たちが気づかないというこの構造は、クレオンがアンティゴネを岩穴の中に生きたまま閉じ込めながらも、「埋葬されたかのように」死者の贄に相応しい飲み物と食べ物を与えるのと対応している。岩穴の外を通る人は、中に不幸が隠れていることに気づかない。

その意味では、奴隷という言葉は余計だ。「暗い岩穴の中で」焼かれたパンを、「不幸を閉じ込めて隠す塔」の外で、そこに閉じ込められた人たちのために何かをすることなく静かに座って食べていた過去と、「暗い岩穴」へと投げ込まれることになる現在との対比は「奴隷」という言葉なしでも分かる。

これから放り込まれる「岩穴」の外で「かつては」生きていた(パンを食べていた)ことは、批判されるとしても、それはけっして、「ぬくぬくした生活」をおくってきたことへの批判ではない。

それでも彼女はあるときまでは闘わずに「静かに座っていた」。そのことが長老たちによって批判されているのだろうか?それをテキストから知るためには、いつ、彼女に変化が生じたとされているのかが大事だ。光文社訳だと「戦争」が自国に迫るまで、ということになるだろう。でも直訳すると「ラブダコスの家から死をもたらすために(tödlich)出て行ったものが、死とともに(tödlich)帰ってくるまで」だ。

アンティゴネは兄弟の死によって反逆に目覚めたのだから、「死とともに(tödlich)帰ってきた」の死 (Tod) が意味するのがポリュネイケスとエテオクレスの死であることは明らかだと思われる。エテオクレスの死によって恐怖に駆られ逃亡したポリュネイケスがクレオンによって殺され禿鷹のえさにするようにと埋葬を拒否された、それが彼女が立ち上がったきっかけだ。

ラブダコスの家から「死をもたらしに出て行き」「死とともに戻った」ものを「戦争」と訳してしまうと、間違いとまでは言えないけれど話がぼやけてしまう。国家のふるう暴力は戦争だけではないし、彼女が立ち上がったのは「戦争」が戻ってきたからではなくて国家の不正な暴力が自分の兄弟に襲いかかったからだ。「人を殺しに帰ってくる」は間違いと言って良いと思う。

それに続く箇所の「血まみれの手 (die blutige Hand)はポリュネイケスを自ら惨殺したクレオンだとして、クレオンが「それを分け与えた(Teilt’s)」眷属(den Eigenen)とは、クレオンがポリュネイケスの遺骸を食わせようとした「禿鷹」だろう。(「嘆く者もなく、墓もなく、その亡骸を/禿鷹のごちそうにせよと。」(p.25))。reißen's はそうすると「引き裂く」「八つ裂きにする」だ。(ちなみに、リヴィング・シアターの『アンティゴネ』上演では、コロスがこの禿鷹を当て振りのように演じていた。)

そうなって初めてアンティゴネは怒りとともに「陰」から飛び出す。しかしその行為は彼女の岩穴への生きたままの埋葬をもたらす。彼女は自由と善を得たが、それは岩穴に「投げ込まれ」、その中で「倒れる」ことによってなのだ。最後の「自由の中で倒れ伏し、善の中へと投げ込まれた」はそんなに難しい比喩ではないだろう。

なのでこの箇所の試訳はつぎのようになる。

でもかつては彼女も暗い岩穴で焼かれたパンを食べていた。不幸を閉じ込め隠す塔の陰で。彼女は静かに座っていた。でもそれは、死をもたらすためにラブダコスの家から出かけたものが死を持ち込んで帰ってくるまでのこと。血まみれの手がそれを自分の眷属に分け与えるが、眷属はそれを受け取るのではなく八つ裂きにする。そうなって初めて彼女は自由の中で怒りとともに倒れ伏し、善の中へと投げ込まれた。

これが批判だとすれば、アンティゴネが身内の死によって初めて塔の中に不幸が閉じ込め隠れていることに気づいたことへの批判ではありうるかもしれない。アンティゴネは兄の死と埋葬拒否によって祖国の非道に漸く目を向けた。石壁一枚隔てた塔の中には多くの絶望がありながら、彼女はそれから隔てられ、塔の外の日陰で静かに座っていた。気づいていなかったのかも知れない、でも気づくべきだったのかも知れない。身内が非道の犠牲になって、初めて、自由のために闘い、倒れ、善がこの国で唯一存在できる場所へと投げ込まれたのだと。それでは遅すぎるという「批判」は可能だろう。でも、彼女が「ぬくぬくゆったり」暮らしていたかどうか、「王族だった」とか「奴隷」もいただろうとかはこの「批判」とは全く無関係だ。

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