2013年11月23日土曜日

ゲーアの「音楽作品の唯名論的理論」(3)

さて、第六節からはグッドマンの「芸術の諸言語」の話になる。この訳も早く出て欲しいところ。基本的な訳語がいくつかあって確定していない(例えばdenotationが表示か外延指示かとか)のだけれど、グッドマンの『記号主義』と、ジュネットの『芸術の作品』のおかげで、彼の主張の大体は日本語でも分かる。ゲーアの議論は、グッドマンへのジフの批判を紹介しているところに大きな価値があるのかも知れない。ここではあまり訳語にこだわる必要はなく、一貫性と分かりやすさがあればよい。

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グッドマンの目標は「シンボルの一般的・外延主義的理論であり、そこで、シンボルは「文字、語、テクスト、画像picture、モデルを含む「とても一般的で中立的な」方法だととらえられている」(99)。作品はシンボル体系であり、そう理解することで「楽譜の主要な機能と、演奏が特定の作品の演奏として分類されることが説明される」。彼の作品理論の詳細は哲学上で詳細に提示され議論されているので、ここでは本書の議論に関係のある側面だけを取り上げる。(だから、ノーテーションはグッドマンの広い文脈では「記譜」に限定されないけれど、この論文に関して「記譜」と訳すのは、パフォーマンスを「演奏」と訳すのと同様、便宜的にOK)
ある作品をそれ以外から区別する特徴は、演奏や楽譜とは別に存在する抽象的存在者があるという点にではなく、一つ一つの作品に特別の種類の楽譜があるという点にある。グッドマンはそれを「記譜notationシステムにおけるユニークに指定された符号character」と呼ぶ。「記譜」が特別の役割を果たすのは、「他筆的allographc」な芸術においてだ。「他筆的芸術−典型的には演奏や朗読において例化される芸術−は、自筆的autographic芸術とは違い、『演奏performanceの制作に関わるどのような歴史的情報も結果に影響しえない』(Goodman 118)がゆえに、それが芸術作品のオリジナルのインスタンス(例)なのか偽造されたインスタンスなのかの区別が重要ではない」ような芸術だ。記譜符号に完全に従うときかつそのときに限り、どのように作られようと、インスタンスは本物のインスタンスだ。「『歌や朗読のように作品が一時的であるときや、…制作に多くの人間が必要なとき、時間と人間の制約を超えるために記譜が考案されるかもしれない。このことは、作品を構成する性質と作品にとって偶然的な性質との区別が確立されることを意味する。』」
多くの異なった場で提示される一時的な作品の中心に記譜がある。一人では制作できない作品にとってもそうだ。音楽作品はこの条件を満たすようだが、そのことから、「音楽作品の同一性がこの記譜によって説明されるべきだということが帰結するだろうか。」グッドマンは帰結すると考える。「楽譜に示された音に演奏が従っているのだから、演奏は所与の作品〈の〉演奏として分類される」(G128-9)。
「楽譜に従う演奏クラスとして考えられる音楽とは何か?楽譜は記譜システムで書かれた符号だ。記譜システムはある指示領域と相関する符号からなる。符号はそれぞれ書き込み文字(ないし発話やマーク)だ。記譜システムは、演奏クラスと相関する楽譜(多分唯一の)からなる。作品ごとに、演奏の単一クラスと相関する単一楽譜が存在する。ここで「相関」とは「従う」ということ。従属項が符号・書き込み文字に、演奏が楽譜に従う一方向的な従属関係(楽譜—演奏—楽譜—演奏—…)。
記譜言語を構成するのは原子符号であり、それは結合して複合符号になる。音高符号(音符)は原子符号だ。それ以外は複合符号だ。複合符号の構成要素は互いに結合関係、「結合を支配する規則によって定められた関係」にある。それは音楽だと和声、リズム、和音などの規則。符号の結合には上限はなく、楽譜それ自体が一つの複合符号だ。
「楽譜は、ある作品を構成する特徴をその複合性のすべてにわたって記録するので、作品の同一性を保持している。」それが可能なのは、記譜言語の独特な性質によるといのがグッドマン説。記譜言語であるためには五つの統辞論的・意味論的要求を満足すべき。この要求によって、符号や従属項の内部での、あるいはそれら相互の曖昧さ、重なり、不確定性を排除。
「(1) 統辞論的分離性
 符号は、ふたつ以上の符号に属する書き込み文字がないように、分離していていなければならない。すべての書き込み文字は統辞論的に等価であり、統辞論的帰結なしに置換可能であらねばならない。このことは、ある符号の書き込み文字の間では、各書き込み文字が他のすべての書き込み文字の「レプリカ」である場合に保証される。これらの書き込み文字は、それゆえ、「符号に対して無差別的」である。符号への無差別性は再帰的、シンメトリー的、推移的な関係であって、そのようにされると、この関係によって生み出された部分に、符号に無差別的な書き込み文字のクラスを作り出す。
(2) 統辞論的識別性
 符号は有限に識別されていなければならない。『ふたつの符号KとK'のすべてと、このどちらにも事実上属さないすべてのマーク[書き込み文字]Mに対して、MがKに属さないことか、MがK'に属さないことのどちらかの決定が理論的に可能である。』(G 135-6)(たとえば事実上「i」でも「j」でもないようなマークについて、これが英語のマークならば、iではないかjではないのどちらかを決定できなければならない。ラテン語のマークならば、決定できなくても良い。)
(3) 単一決定
 各符号はある外延をユニークに決定しなければならず、それに属するかどうかはコンテクストを超えて不変である。こうして書き込み文字の曖昧さが禁止される。(G148)
(4) 意味論的分離性
 従属クラスは分離的であらねばならない。従属クラスの交差は禁止される(G150-1)。それゆえ、
(5) 意味論的識別性
 従属項が与えられたとき、それは他のものから充分に区別され、それが当該の符号に従うという決定が可能であらねばならない。」(101-102)
これらの要求を満たしたとき楽譜は主要な理論的機能を果たすとグッドマンは言う。楽譜が記譜的なら、どの楽譜を見てもどの演奏を聴いても作品を同定できる。これらの要求は作品の同一性が楽譜や演奏に保持されているかどうかの決定テスト。ゲーアはそれを「復元テスト」と呼ぶ。楽譜があれば作品と、それゆえその演奏を構成する性質を同定できるし、演奏を聴いて楽譜を復元できる。同定手続きはどちらの方向でも機能する。

5あたりから急に訳が良くなってきた。このレベルならば、何とか読めるかもしれない。少なくともグッドマンを全く分かってない、という感じではない。1−3のあのでたらめさは何なのだろう。

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