デニス・レヘインの『夜に生きる』を読みました。レヘインのベスト、とは言えませんが、淡々としたハードボイルドは面白いです。今年読んだミステリのなかでは、ル・カレの「我らが背きし者」、コナリーの「かかし」、ダフィの「KGBから来た男」の次に面白かったです。レヘインは、ワンパターンになる前にシリーズを終えるという、あまり出来ない離れ業が出来るひとで、シリーズ外にも傑作の多い作家(「シャッター・アイランド」と「ミスティック・リバー」)です。シリーズのパトリックとアンジーのカップル探偵ものは、雰囲気も主人公のパターンもロバート・パーカーのスペンサーシリーズととてもよく似ていながら、スペンサーよりも重厚で骨太のハードボイルドを作り出したのにも驚きました。勿論、スペンサーシリーズは、ワンパターンなプロット(主人公たちは悪党に嫌がらせをし、相手が手を出すのを待って皆殺しにする)と、チープと言って良い程の主人公の万能感は欠点ではなく魅力になっているのですが(一度だけ瀕死の目に遭います)。シリーズの締め方も完璧です。
このシリーズは、正義観が最後まで一貫しているところも素晴らしい。コナリーの「ボッシュ」シリーズは途中で一旦ぐたぐたになってしまうのに、彼らはそんなことはない。彼らは万能ではなく、そのことに納得して引退します。それが敗北ではなく、シリーズのなかで一番苦いエンディングを迎えた作品(『愛しき者はすべて去りゆく』)で揺らいだ自分の正義へのけじめになっているのが良いです。
今回の作品はパトリックアンドアンジーではなく、「運命の日」に続くコグリン兄弟を描いたのピカレスクロマンですが、「運命の日」と直接結びつくわけではないです。「運命の日」の長男ダニーが警官なのに対して「夜に生きる」の三男ジョーはギャング。多分次男を描いた作品がそのうち出るのでしょう(次男は映画界にいる設定です)。ここでも主人公は自分なりの正義の意識を確立し、なんとか貫きます。主人公の成長を描くという意味では典型的な教養小説です。ラッキー・ルチアーノも登場する禁酒法時代末期のギャング小説(主人公はずっとアウトローだと自己規定していますが、ある事件を機に、自分でも「ギャング」となります)ですが、ライバルや法秩序の側があまりに非道いので、私たちは主人公への共感を失わないで済みます。エンディングの苦さは教養小説の定番であると同時にノンシリーズのレヘインのいつもの魅力そのもの(「ミスティック・リバー」の苦さに近いかしら)。
(さいしょフェイスブックに書くつもりでですます調にしていたのが残った。なお、シリーズで劣化が激しい作家の一番に誰もが挙げるのは多分スティーブン・ハンターの「スワガー・サーガ」だろう。さすがに最近は買わなくなった。ジャック・ヒギンズもそう、というか、「鷲は舞い降りた」「死に行く者への祈り」の二つが例外的に素晴らしかった気がする。マイク・コナリーのボッシュは長いシリーズで主人公がだんだん高齢化して行くのに質を維持しているのが素晴らしい。リーバスは三作目から良くなり、上げ下げがやや大きい。リンカーン・ライムは二つ目からワンパターンだ。なぜ全部買ってしまうのだろう…)
0 件のコメント:
コメントを投稿