東京芸術劇場のリニューアル公演。日本では五公演しかしないのに、東京芸術劇場のプレイハウス(大劇場、になるのかしら)の舞台とその奥に客席付きで小劇場を再現した。五百席くらいかしら。採算性とかそういうのは度外視の上演。オリンピック誘致との関係で予算が豊富だったのかしら。
同じような試みは太陽劇団が来日したときに新国立劇場でやった。あちらの方が客席は多かった。舞台を馬蹄形に取り囲むように客席が置かれているが、客席の段差は結構あり、ローマの円形劇場をミニチュアサイズにしたような感じ。あとはそれほどセットに工夫はされていない。このセットは、プロローグのサーカスの口上ととてもマッチする。全体が一つのショーに見立てられている。生演奏なのもそれを強調する。客席のない側はカーテンで普段は閉じられ、「奥の部屋」の扱い。
ルーマニアのシビウにあるラドゥ・スタンカ劇場の五年前の上演を、日本に持って来たものだ。(ラドゥ・スタンカはルーマニアを代表する劇作家、文学者の一人で、シビウを中心に活動していたらしい。)でも、その劇場のどこかが火事で焼けてしまったみたいで、客席を含むセット(Helmut Stürmer)は新たに作り直したとのこと。シビウの国際演劇祭のことはいつも「テアトロ」に記事が載っていて、日本の演劇関係者には結構強いつながりを持っている人がいるようだ。
『ルル』の上演は昔栗原小巻で見たことがある(今調べてみたら1977年の舞台だ。そんな頃に芝居観てた記憶がないが、再演を観たのかも知れない)。あの時は長すぎると思ったけれど、今回はかなり刈り込んで二時間半ほど。
「画家」という設定だったシュヴァルツを写真家に変えたのは良かった。最後に、ゲシュヴィッツがルルの写真を持ってくるとき、登場人物の絶望は際立ってくる。ここはやっぱり絵よりも写真の方が迫真的だ。(ルルが描きかけの絵を破壊してしまう場面はカメラのフィルムを引っ張り出して駄目にしてしまう場面に置き換えられていた。パリで革命が起きた話はそのまま。時代設定の齟齬は全く気にならなかったけれど。)
他方、ベルクのオペラで印象的な、シェーンが婚約者への別れの手紙をルルによって書かされる場面と、ゲシュヴィッツがルルを救い出すために自らコレラに感染するという場面を省略したのはマイナス。最後の場面でのゲシュヴィッツの台詞や役割が生きてこない。あと、今回のように心理劇的側面ではなく、「見世物」的側面を強調するのなら、もう少しフィジカルに、あるいはエロチックにやって欲しいとは思う。
でも、全体としてスピーディでとても良い上演だったのに、ぜんぜん「のれ」なかったのは、ひとえに「イヤフォンガイド」のおかげ。台詞のリズムも感情の動きもすべて破壊してしまう。視線が基本的に下を向き、左右の移動も激しいので、字幕をつけにくい舞台構造なのは確かなんだけれど、そこを何とか頑張らないと。
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